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風景写真よもやま話

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2008/07 << >> 2008/05

通り魔だ!
 家内と二人、昼ごはんを食べて居間でテレビを見ているときだった。何か玄関のドアが開いた気がした。通常私は家の施錠をしない。

 玄関から廊下を歩き、居間のドアが突然開いた。見ると小柄な男が立っている。誰だ!と、思うまもなく、男は顔を真っ赤にして奇声を発し、左手に持った包丁を振りかざして私をめがけて突進してきた。

 あぶない! とっさに胸を横に振った私の胸元を包丁がかすめて、男が覆いかぶさってきた。一体何が起ったのか!? 私は突然の事件に驚愕する。

 ギヤァ〜! 

 何か声をあげたらしい。横に寝ていた家内がびっくりして、フトンを蹴って起きた私に声をかける。

 何だ! 夢だったか! それにしてもすごくリアルな夢だった。すんでのとこで私は、突然家へ上がりこんだ男に包丁で心臓を刺されるとこだった。

 放心状態の私はなかなか寝付かれない。時計を見れば午前3時半だった。こんな夢はまず見たことがない。なぜだろうか?

 時間が経って、今見た夢を思い出してみる。こんな夢を見るなんて、あの秋葉原の通り魔事件でも連想したのなか? 通り魔が道路を走るシーンが何度も放映されていたから、それを連想したのだろうか?

 でも違うな! 男は年配だったし、小柄だった。そこでどうしてこんな夢を見たのかを考えてみる。少し思い当たることがあつた。

 それはこの日記で何度か書いたが、ある好きなご婦人から何度も誹謗中傷され、特に私の容姿(顔)を批判された記憶がよみがえる。

 その誹謗中傷は私にとっては、包丁で心臓をグサリ!と、突かれる思いになるのだ。何気ない会話から突然変身し、中傷に変わる。こちらは何の防御をする暇もないから、そのように感ずるのだった。

 だが分からない。それがこんな夢になって現れたのかどうかは分からない。好きなご婦人だけに私の潜在意識に深く刻みこんでいた中傷が、このように夢になり包丁で心臓めがけて突き刺すシーンになったのであろうか?

 人間関係は真に複雑だ。いろんな人との付き合いで、時には喜び、時には怒り、時には嫉妬する。それも心の洗濯と心得て、自分を磨く、私はこのようにして心を洗濯し、魂を磨くために生まれてきた。

 そう思えばこの通り魔の夢も私に何かを教えてくれる。人をほめ人の長所を捜して、利他愛に徹する。その心が私の魂を進化させるのだと思うと、またこの夢も納得できるのだ。

2008/06/30(月)


ガソリン高騰
 ガソリンがまた上がるそうだ。1ℓ180円台になるという。投機資金がガソリンに流れ込み、世界の原油相場はまだまだ上昇するであろう。1ℓ200円時代はもうすぐやってくる。

 企業の景況感は毎月悪化し、値上げラッシュが来る。唯一自給できる米だけはまだ値上がりしていないが、全農が肥料を値上げするというから、これもただ事ではすまないだろう。

 今世界は資源ナショナリズムが台頭し、食料もその戦略物資になりつつある。まもなくお金があっても売ってくれない保護主義が世界を駆け巡り、戦争の気すら伺える世になりそうだ。

 そんななかでの日本は真に脆弱だ。資源もないし、食料もない。あるのはお金だけで、人的資源で食いつなぐ日本も、凶悪犯罪や偽装事件がハバを利かし、その倫理的資質も地に落ちつつある。

 家内が言う。

 「町内をグルリと回ってっきたら、空き家が何軒もあったよ! どうしたのかねぇ!」

 私の町内は約330軒だが、町内をくまなく回ったことなんてあまりない。ひそかに、我が家を離れる人がぞろぞろ出てきたのかな?
 
 景気は一段と冷え込み、値上げラッシュ、年金生活者が一番割りを得ない社会が待っている。ブラジルの夢予言者ジュセリーノは言っている。日本の経済破綻の時期は2011年! あと3年で日本は経済破綻し、極貧の生活が待っている。

 そのときはいか生きるべきか! 田舎で自給自足の仙人生活でも始めようかな? ガソリン高騰が漁業の足を引っ張り、休業するまでになった。魚もぞろぞろ値上げし、庶民には鰯程度の小魚しか食べられない世がまもなくやってくる。

2008/06/29(日)


山岳写真展
 私の先輩で写真の師匠でもあるA氏が所属する山岳写真展があった。日本山岳写真協会 北陸支部展である。「山の断章」と題し、富山県を代表する山岳写真家がその傑作を出品する。

 先輩は2点を出品していた。一つは立山天狗平から見た落日であり、もう一つは上市町種から見た剱岳であった。いづれも傑作の部類に入る。

 天狗平からの夕陽は私も狙っていた場所だが、先輩に先を越され、その出来栄えも私の想像をはるかに越える素晴らしいものであった。

 日本山岳写真協会は全国に400名の会員を擁し、北陸支部も全国7番目の支部として平成5年6月に設立された。「山こそ我らのスタジオ、18名の会員は立山・白山・剱岳など恵まれた郷土の山々を中心に、県外や海外の絶景を求めて山岳写真の真髄を探求しています」とある。

 自然はかけがえのない人類共通の財産であり、子々孫々まで伝え残すべき宝でもある。このささやかな写真展が自然の尊さや保護の精神を助長できたら、最高の喜びとするともあった。

 残念ながら先輩は来ていなかった。会場で写真を見ていると知り合いのK氏が声をかけてくれた。K氏も名だたる山岳写真家、その切れ味の良い立山の秋は見る者を圧倒する。

 K氏との雑談で、一つ気にかかることがある。それは近年、山の絶景が撮れなくなったことだ。空気がよどんで、すっきりした日がなく写真にならない。

 それは大気が汚れているからだ。私の13年のキャリアからしても、それははっきりと断言できる。原因は言わずながら、大気汚染の影響である。その主たる排出国は中国!

 中国の経済発展に比例して大気は汚れてきた。自然を愛し、特に山を愛する山岳写真家にとっては空気の汚れは致命傷だ。恐らくこの汚染は今後も消えないであろう。

 この写真展では全国の会員から選んだ傑作をカレンダーにして販売されている。私も必ず買うことにしており、もう6年分もたまった。普通カレンダーはその年だけのものだが、写真があまりにもきれいで神々しいので残して眺めているのだ。

 山を愛するものに心の曇った人はいない。自然を畏敬し、自然に感謝できる人だけがこの素晴らしい風景に遭うことができる。

2008/06/28(土)


巨木
 田舎の家を借りたいという人と打ち合わせし、昨日は田舎の家で落ち合う。10時の約束の10分前、携帯で連絡があった。どうも私の車の後をつけてきたらしい。

 部屋を案内し、電気やガス、水道の栓を教えて、快く帰ってもらった。7月の下旬に東京など多方面から大勢が遊びに来るという。

 5月の連休以来の帰郷なので、部屋を掃除しゆっくりとくつろぐ。4年前に植えたプルーンの木が今年は実をつけ、秋には収穫できるであろう。

 今日来た目的は家を借りたいという人の下見と、連休に失ったカメラのPLフイルターを捜すことにある。裏山は広大なブナの原生林なので、見つけるのは至難の業だが、いくら捜してもやはり見つからなかった。

 もう観念しよう。新品を買えば6千円あまり。自分の不注意が原因だからしょうがない。ついでにこのブナ林をカメラに収める。

 山はブナだけでなく、栃の巨木が山の裾野に生えている。そして今は珍しくなったケヤキの巨木もまだ健在だ。

 ブナの美しい木肌を見ながら山を登ると、いたるところにカモシカの糞がある。ここちよい野鳥の声を聞きながら緑に覆われた森をカメラに収め、これから毎日トップで紹介しよう。

 家から10mも登ればブナの林が全山を覆う。我がふるさとはいつも濃い緑で私を待っていてくれる。だがこの大自然はいつまで続くであろうか?

 世界の環境破壊はもう待ったなしまで来た。洞爺湖サミットで議論されるであろう、地球温暖化に対するCO2の削減は困難を極める。

 温暖化によりこのブナ林も2,30年後には消滅の危機にある。そのときは既にこの地球は、人の住めない惑星に変わり果てているのであろうか?

2008/06/27(金)


すみません!
 最近、体調が悪く家内と精神科の門を叩く。神経症が悪化し、医者の助言を聞きに出かけた。診療内科の医師は個人経営なので、あらかじめ医者の都合を聞いて出かける。

 病院に着くなり、受付嬢に声をかける。

 「先生はいるかい?」
 「はい! 2時半から診療がはじまりすので、少しお待ちください。」

 待つ間、家内とロビーのソファーに座る。するとすぐに家内が声を荒げる。

 「何よ、父さん! あんな言い方して!」
 「何のことだい?」

 「受付の対応よ! もっとへりくだって言うものよ!」
 
 どうも受付の若い女性に、軽々しく「先生いるかい?」と問いたのが気に食わないらしい。

 「すみません!・・・!」
 「すみませんではすまないのよ! ”これから気をつけます”というのよ!」 

 オレにしてはこの先生とは十数年来の付き合いだ。医療だけでなく、私生活まで話題にしてHPのアドレスも渡してある。だから先生は親しい人生の先輩の気分なのだ。

 「ハイ!ハイ! 分かりました! 今後気をつけます。」

 これで一件、落着! 全く家内には閉口する。私の言動を監視し、少しでも気にくわないことがあればすぐに注意が飛び込んでくる。

 これを察するに、家内は私の品格を上げようと必死のようだ。私だってしかるべき時は、それ相応の対応をする。時と場合によって言動や態度は変え、丁寧に対応することができる。

 例え、受付嬢であっても、お世話になる医者なのだから、へりくだって頭をさげよ!と、家内は言いたいのだ。だが私の性格はそれを許さない。

 六白金星、辰年生まれの私はプライドが高く、人を見下す癖がある。大分癖は直ったと思うが、ついうっかり気を許すと出てくるのだろう。

 家内は口やかましく、自分の意に会わないことがあるとすぐに注意をする。私の一つのとり得は、家内に頭が上がらず、すぐに反省し素直になることだろうか。

 夫婦仲も自分の非を認め合うことから信頼関係は生まれる。世の中、品格はやり。私も無意識に自分の発した言葉で人を傷つけている場合もある。

 そこは自分がどれだけ素直になれるかどうかで勝負は決まるのだ。

2008/06/26(木)


余命数ヶ月
 がん患者にとって余命?ケ月と宣告されるほど残酷なことはあるまい。40、50代の働き盛りと8、90代の年寄りとでは、その思いが違うかも知れないが、それでももうすぐ死が迫っていると思うと気が気でない。

 昨夜のNHKプロフェッショナルでは、末期がん患者をケアするベテラン看護師の放映があった。人生最後の死を看取る家族の心境もさることながら、当事者の日々の思いはいかがなものであろうか。

 それを癒すのが家族であり、医師であり、看護師となるのだが、本人の思いはとうていそれだけで癒されるものではない。死への恐怖、今までやり残したことへの愛着、生への執着、その心は重圧となって患者を苦しめる。

 この死への恐怖や苦しみから逃れられる一つの方法が宗教心だ。人はなぜこの世に生まれ、何を成しに来たのかの意義を知ること。これが十分に理解できている人は死に際し、それほどの恐怖や苦しみを味わわないであろう。

 私も23年の長い信仰生活で、やっと人生の意義を見つけたような気がする。まだ完全なものではないが、少なくとも人がこの世に生まれてきた訳を理解することができた。

 それは前に何度も書いたが、「人は魂を浄化し、進化するためにこの世に生を受けた。それはしかるべき死に際し、新たな境地への出発でもあるのだ。」

 肉体はなくなっても魂は永遠に残る。そしてその魂は次の次元へ向けて進化を繰り返す。これは宇宙の法則だ。だからまだ十分に覚醒できない魂は、何度も輪廻転生して3次元の世界で喜怒哀楽を経験しなければならない。

 釈迦も言っている。この世は苦の世界なのだ。だがこの苦がないと人は反省し、自分を見つめない。人になぜ苦が与えられるのかの意味を理解する必要がある。

 五次元文庫の「五次元入門」(徳間書店)の著者、淺川嘉富氏はこのように言っている。

 「死」と呼ばれる現象について、サナギがマユから抜け出して蝶に変身するのと同じで、住む世界と身にまとう着衣が変化するに過ぎない。

 末期患者を精神的に支える唯一の方法は、物理的療法だけでなく、精神的な医療が必要であることは論を待たない。患者に死を無用に恐れさせないための最も効果的な手段は、末期患者と接する医師や看護師たちが死後生の存続を患者に語りかけてやることが一番なのだ。

 だが、これは宗教心の世界か、精神的に覚醒した人だけにその任務は与えられる。私の余生はこれから何年続くかわからないが、死後の行く末だけは確信を持って理解できたことを喜ばねばなるまい。そして死への恐怖も薄れたことも同様である。

2008/06/25(水)


人間関係
 この世が進化すればするほど、人間関係は複雑となる。新聞の投書欄をみてもその実態は明らかだ。日常多くの人と接しながら生活する以上、人との摩擦は止むを得ない。

 その人間関係の中に「肉親血縁相克の因縁」というのがある。肉親同士がいがみ合い、仲良くすることができない。今日の読売新聞の人生案内も同様の相談だった。

 私にも軽いこの因縁がるが、親子兄弟が不仲ではなく、2人の弟とは遠く離れていても親しく連絡し、年に一度は田舎の家で合う約束ができている。

 ところが社会へ出れば話は別だ。親しいはずの仲間の間でも、得て不得手がり、時々衝突することがある。この場合、旧知の仲なので破談になることはないが、その後味の悪さは格別のものがある。

 先日、親しくしていたあるご婦人に私から話しかけた。ところが私の意図することと違い、意外な返事が返ってきた。いやみを言われたのである。

 私が好意をもって話した言葉に、過去の言葉を連想され、そのことを暗に暗示させる言葉が返ってきた。そのことは一度ならずこれで5回目だった。

 私はこのご夫人に悪意をもって話したことは一度もない。ただ私の話言葉が相手にとって不愉快な面があったことは反省すべきだが、こうも毎回いやみを言われると私の心も穏やかではなくなる。

 相手は自分が発した言葉が、相手にどのようにとられているか考えたこともない。ただ自分の感情の赴くままに、軽い気持ちでいやみを言う。いや、いやみだとも気づく気配もない。

 良好な人間関係を築こうと思えば思うほど、日頃の言葉が重要となる。それは親しくなればなるほどそれは重くなるのだ。

 「親しきなかにも礼儀あり」

 自分も同じ過ちを犯していると思うときがあるが、人は自分のことは棚に上げて人に注意をする身勝手な人もいる。いやみを言われたら言い返せよ!と、人は言う。

 だがこれが私にはできない。好きな人だけに、喧嘩になればヤバイと思う心が強いためで、いつかは分かると思い我慢する。可否ははっきり言う。これが良好な人間関係につながると思う面もあるが、やはり私は優柔不断な男なのだろうか?

2008/06/24(火)


利他愛
 私は6月9日の日記に、宇宙法則は「利他愛」と「調和」だと書いた。利他愛とは自分を捨てて他人に尽くす愛であり、調和とはこの世に存在する総てのものと調和して暮らす生き方である。

 利他愛の中には嫉妬や恨み、妬み、怒り、誹謗、中傷、その他、人間としてあるまじき心の悪因縁は存在しない。ただ人を愛しみ、哀れみ、少しでも相手が幸せになってもうらう博愛の心しかあり得ない。

 その博愛の心をいかにして表すか。それはボランテアや無償の行為により、人ざまざまな行いができるであろう。私の場合は宗教行事を通じて、人々からの菩提心を集めることに生きがいを感ずる。

 このたびの富山大空襲で犠牲になった2736人のおみ霊を供養してあげるのも、その大事な利他愛に他ならない。いわゆる托鉢行だが、昨日は仲間と二人で家々を廻り、犠牲者への供養を托鉢した。

 1本100円の護摩木で釈迦の成仏法をもって供養すると、死者はこのうえなく癒される。托鉢行は単にお金を布施してもらうだけの行為ではない。その浄財は死者への真心の贈り物となるのだ。

 非業の死を遂げた犠牲者は今も中有界で苦しんでいる。我々には霊眼がないため見えないだけで、その能力のある霊能者にはありありと彼らの苦しみが分かるという。

 国土の安穏、平和を願うならば戦争や災害、事故などで亡くなった物故者を慰霊しなければならない。それが霊に対するエチケットであろう。

 あるお宅を回ったとき、対応されたご婦人が快く護摩木に名前を書かれ、1000円を渡された。残りはお塔婆で供養してほしいという。そこには何の疑いも残らない。

 托鉢行ではその多くの家が拒否されるなか、このように心温まる人に出くわすことがある。この人も利他愛をお持ちの方であろう。
 
 自分とは何の関わりのないことでも、人を愛しみ、哀れみを持つ人は救われる。因果応報、この世知辛い世の中で浄財を布施された人は、廻りまわっていつかはその徳が自分に回ってくることは間違いない。

 「み霊の鎮めなくして国土の鎮めなく、み霊の安らぎなくして家庭の安穏繁栄は望めない」

 これが宗教を超えた平和・国土安穏の祈りである。この托鉢という利他愛により自分をはじめ、布施していただいた方々には更なる次元の上昇の機会が与えられるのだ。

2008/06/23(月)


田舎の我が家
 家内がある人に話をした縁で、田舎の家を貸すことになった。貸すといっても数日のことで、仲間の慰安旅行とある。

 田舎の家は築50年で今は誰も住んでいないが、豪雪地帯なので骨格はしっかりしており、電気・ガス・水道など生活に必要なものは生かしてあり、いつでも泊まることができる。

 家は広く、昔は養蚕が盛んだったので、その仕事場にするため大きな家を建てた。だから20人以上は楽に寝泊りでき、フトンなども完備されている。

 もう15年前から上下水道が完備され、都会となんら変わらない快適生活ができるが、20年前から空き家になっているのだ。

 家の前を小川が流れ、裏山はブナの原生林だ。そのブナ林の一角に建つ我が家。春から秋にかけてむじな(穴熊)や狐、狸に野うさぎがうろつき、夜はムササビが飛び交い、ふくろうが鳴く。

 このような環境に恵まれた我が家も、50年前に捨てて私は町に出た。田舎では就職先がなく、やむなく先祖伝来の地を離れたわけだが、いまはお荷物になってしまった。

 一時、工事人夫の宿として貸したこともあったが、もう工事もなくなり家は利用価値がなくなった。時々、お盆などに弟たちが帰郷すれば、歓談するだけの家になる程度である。

 もったいないことこの上ない。だがこれも運命かな? そこで家を借りたいという人には無条件で貸すことにしている。なんでも東京からはせ参じるというが、どうかゆっくり田舎の雰囲気を堪能していただきたいものだ。

 時代はどんどん変遷の過程にある。田舎の我が家と同じ運命を辿る家はどんどん増えるばかりだ。高齢化して家の維持ができなくなったり、都会へ出て空き家になったり、まるで歯が抜けるように空き家が目立つ世の中になってしまった。

 限界集落! 小規模の集落はいずれ高齢化で村の維持ができなくなり、離散する運命にある。私はそれを見越して町へ出た。先見の明があったと言うべきか、必然というべきか、この運命だけは誰も逆らえない。

2008/06/22(日)


新発見!
 自殺者が10年続いて3万人を超えたという。その第一の原因がうつ病だ。うつ病は現代病でもあり、その原因は仕事や対人関係のストレスが多い。

 私も再三書いているが、18年前不安神経症を患い、まだ完治しない。時々発作が出て、不眠、不安、体調不良により身体をうまくコントロールできないパニック状態になる。

 ここ2週間前からこの症状が出て、うつ状態だったが、昨日は道場で瞑想を行った。この瞑想法は師からいただいたDVDによるものだが、それがまたほんとうに良くできたDVDで、その名称を「般若心経瞑想法」という。

 般若心経は仏教の原点を説くお経として、多くの宗派で読誦されている。それは宇宙の真理を説くからだ。その真理を一般の人にも分かりやすく映像化したのがこのDVDだ。

 それは般若心経の読誦から始まり、宇宙の中で梵字を修行僧に見立てて、畏敬の念を表す。そして如意輪観音の像を見ながら宇宙を瞑想する。次に因縁因果の法則を水に例えた映像で、人間の持つ因縁(カルマ)の成り立ちを解説する。

 人はこの広大な宇宙でいかに生き、何を求めるべきか? そこには聖なる次元への飛躍がある。DVDの最後には如意輪観音が強烈な光となって、この宇宙を照らす。

 次元が上昇し、その極に達すれば光となる。燦然と輝く真っ白い光となるのだ。そこにはこの浮世の喜怒哀楽は存在しない。ただ迷える者を救いたいとの、慈愛に満ちた観音菩薩の世界でしかありえない。

 わずか20分程度のDVDだが、静かに座り映像と心地よい音色を聞きながら広大な宇宙を想像する瞑想は、この上なく私を癒してくれる。

 だから不安感やうつ状態はいつの間にやら消えている。そして終わった後は気分もさわやかで頭もすっきりして、体調がすごく軽やかになるのだった。

 これは新発見だ。私も家にこのDVDを持っている。だからいつでもこれで瞑想することができる。瞑想はこ現代社会のストレスを解消してくれる、またとない利器となり心の病を癒してくれる最大の友となる。

 解脱への道は瞑想から始まる。かって仏陀がそうであったように!

2008/06/21(土)


幸福
 昨日の新聞に夫への愛情が冷めた30代の主婦の悩み相談があった。付き合って半年で結婚を決めたのだが、友人がもっと相手のことをよく見てから結婚したら?、との忠告を無視した結果、後悔の日々とある。

 仕事はまじめで育児にも協力的なのに、好きになれない。何年経っても好きでいられる男性がほかにいたのではないかと、後悔の念が募るばかりだという。

 昨日は事務所で3人のご婦人と歓談していました。私のふとした言葉に一人のご婦人が猛反発しました。私としては決して相手を批判したわけでなく、言葉のあやでそのようにとれたのかも知れません。

 言葉が次第に険悪になって、ついに中村さん! もうしゃべらないで! 黙っていて! と、きました。

 これほど強く言う彼女の心は読めました。私はもうこれまでと観念し、そう! じゃ、もう帰るよ!と、すぐに仲間から離脱し、家へ帰りました。家では優しい家内が待っているからです。

 この新聞の人生案内へ投書した女性には「夫婦縁障害の因縁」があったことになります。お互い人との付き合いには相性があります。

 私と家内は友人星。ですからいつどんな時でもお互いがいたわりあい、助け合って仲良く暮らす、ほぼ理想型の夫婦といえます。

 家へ帰り妻に癒されるほど幸せなことはないでしょう。幸福とはこのようなことを言うのではないでしょうか。私のような不精者を、上げ膳据え膳で面倒をみてくれる家内。お返しに私も家内の要求にはほとんど文句を言いません。

 考え方も趣味も行動も全く違う夫婦が、お互いを理解し、同じ屋根の下で仲良く暮らす。老夫婦となれば、なおさらのこと、夫婦の信頼関係が必要なことは論を待ちません。

2008/06/20(金)


ゆりが咲きました
 庭に植えたゆりが次々と咲いてきます。昨年植えたゆりは球根が増えて、今年はいろとりどりの花が庭を埋めています。

 ゆりの球根は少し高めでしたが、思い切って沢山買いました。その花の色も十数色、大型の花は切花にしてもよく、眺めてもよく、その種類の多さに驚いています。

 私は十数年前から鬼ゆりを育ててきました。これは田舎から持ってきた球根で、もう数十年前からのものです。鬼ゆりの花はそれほど美しいとは思いませんが、買ってきたゆりは品種改良されて、その色のあでやかさには驚かされます。

 「立てばシャクヤク、座ればボタン、歩く姿はゆりの花」

 これは美しい乙女を表現した句ですが、姿を花々に例えるとはなんともユニークですね。

 先日から書いている私の顔のシミも、ようやく取れました。まだ完全なまでにはなっていませんが、やはり医者が言った液体窒素の威力は抜群でした。もう一回塗ればほぼ完全にシミも消えるでしょう。

 男だってきれいになりたい! 第一印象は顔です。だから顔を美肌にすることは男女も同じと思います。

 庭からこの美しいゆりの花を眺めながら、あの人を連想しています。人は表面の美しさだけでなく、心も美しくなりたいものです。でもそれがとても難しいことは誰もが認めることでしょう。

2008/06/19(木)


間違えられました
 昨日は母が入所している施設へ行く。母はもうすぐ95歳になるが、まだまだ元気で自分で歩くことができる。家内と二人、母の廻りに座り話しかけるが、全く要領を得ない。

 今日は中学生とおぼしき女性徒がトレーナーを着て、腕に実習生の腕章をつけて、盛んに入居者に話しかけている。だがどの老人も自分勝手に分けの分からない話をして、生徒はただ聞くのみだった。

 そのうち、しばらくしてある女生徒が私の横に来た。

 「おじいさん、ご機嫌いかがですか?」
 
 「え?! ?・・・・?」

 私はしばらく沈黙して、さりげなく言った。

 「今日は皆さん、介護の実習なの? これも授業の一巻かな?」
 「えぇ! そうです。」

 「君は将来、介護の仕事をしたいの?」
 「えぇ! してみたいと思っています。」

 「そうだな。この日本も若者が少なく、老人だけが増えるからね。君たちに今後を期待しているよ。」

 と、言うことで私は入居の老人と間違われてしまいました。でも相手はすぐに気づいたようで、恥ずかしそうに私の話相手になってくれました。

 今、介護の現場では大変なことが起きてるようです。介護をする若者が次々と転職し、現場はかろうじて務まるおばさんが増えています。

 年寄りを介護するのには体力が必要であり、夜勤や時々ダダをこねて困らせる年寄りも多いとか。それに第一の問題は給料が少ないことです。

 働き盛りの介護師の給料が20万円を下回るといいますから、労働条件からして介護の場から離れるのは理解できます。でも介護費用を上げるわけにもゆかず、国にもこの問題をどのように処理できるのでしょうか?

 先日市役所から届いた介護保険料の料金が月7500円! こんなに高いの? 2ケ月ごとに15000円ずつ払う保険料は、私の母のためにもなっていると思うと無理もいえませんが、それでもこの負担は重荷です。

 老人の医療と介護、この日本もこれから大変な時代を迎えようとしています。それにしても先日見たNHKスペシャルの「中国の医療」は圧巻でした。

 弱者切捨て! これぞ世界の見本のような現実! 日本の後期高齢者医療は今後どのような展開をみせるのでしょうか? 

2008/06/18(水)


写真展での会話
 県民会館のギャラリーで女性だけの写真展があった。私のよく知る女性もいるので出かけてみる。ギャラリーの真ん中に休憩所があり、数人の女性が歓談していた。

 「やぁ! 00さん、写真見に来ましたよ。」
 「あら! いらっしゃい! どうぞコーヒーでも飲んで行かれませんか?」

 と、言うことで椅子に座って歓談する。

 私の横の人が岩手・宮城内陸地震の様子を話し込んでいる。すると、ある人が一枚のチラシを持ってきた。

 「これジュセリーノの講演会のチラシよ。ジュセリーノはすごいわよ。世界の災害や事件を予言するの。」

 みんなが一様に注目する。ここのところ、立て続けに大きな災害が発生したので、みんなの注目も地震に集まる。

 私は言った。

 「ブラジルのジュセリーノは、世界でおきる出来事を夢に見て警告するんだよ。事件や災害が発生することを何年も前に予知し、それを文書で当事者へ送るんだ。特徴はその起きる日時や当事者などすごく詳細に分析できるんだ。」

 「ジュセリーノはすごいのよ。日本のサリン事件や中越地震もみんな当てたったんだって!」

 その人はジュセリーノが日本での公演を行うチラシを持っていた。もう済んでしまった公演だったが、大事に保管していたのだろう。

 そんな話が進むと、みんなが動揺しだした。どうしよう、どうしようと、人知を超えた災害には対処のしようがないのだからみんなの不安は募る。

 私はここで私の持論を話したかった。だが面識のない人の中で、私の理論を話してもどれだけ受け入れていただけるだろうか? 

 この世の中が今後、どのよう変革し、どのような運命を辿るだろうか? その答えは、今までこの日記で書いてきたとおりである。

 人はなぜこの世に生まれ、何を目指して生きてゆかねばならないのか? その答えはすでに明らかだ。それが見えてくると、どんな災害や事件でも必然として受け入れられる。

 その境地に達すると、これから起きるアセッションとアースチェンジへの対処も進化のためと、心を一つにすることができるのだ。

 人は魂を浄化し清めて、より次元の高い境涯への進化を目指すために生きている。死はその進化のために、欠かすことのできない生まれ変わりの過程なのだと考えるのが私の持論である。

2008/06/17(火)


父の日
 昨日は夕方、家へ帰ると家内が小箱を見せて父さんに贈り物が届いているという。机の上にはきれいに包装した箱があった。

 「大阪の息子の嫁がねぇ。これを送ってきたの。こんな大きなダンボールに詰めて、開けてみたらこの箱よ。おまけにダンボールには”われ物注意”とラベルが張ってあるので、宅配の人が恐る恐る運んできたのよ。」

 それにしても大きな箱だった。中から出てきたのは不釣り合いな、一目で分かるTシャツの箱だった。

 「そうか! 今日は父の日だったんだ!」

 箱の上には書置きが添えてあった。

 「富山のお父さんへ

 茂樹と二人で選びました。良かったら使ってくださいね。いつまでも若々しく、かっこいいお父さんでいてくださいね。」

 次男の嫁からの書き添えだった。私は心から嬉しくなる。父の日を忘れずに、その日にこうして贈り物を贈ってくれる。その心遣いがなんとも嬉しいのだ。

 Tシャツは私にぴったりだった。書き添えのように少し若者らしい柄だったが、十分に似合う。そこで家内が携帯でシャツを着たオレを写真に撮って送ろうという。

 ところがどうしたことか写真がボケて、うまく撮れない。ではデジカメで撮ってメールで送ろうと考えたが、家内が邪魔くさがって写真を撮ろうとしない。

 そこで電話に切り替えた。嫁の弾んだ声が聞こえる。嫁は関西人だが、底抜けに明るい。両親の近くに住居を構えるため、遠く離れた富山までは普通、メールか電話しかない。

 二人の孫を見るのも数年に一回、今年は来てくれるだろうか? 帰郷したらまた海水浴へ行こう。家からわずか10分で海水浴ができる。

 今は息子や娘は生家を離れ、それぞれが独立して住む時代。私も家内と二人の生活になってしまった。近くに住む娘は月に一回、HPの更新に来てくれるが、その孫達も中学生になると部活などで遊びに来なくなる。

 少子化が叫ばれて久しいが、どの家も夫婦二人か、さもなくば一人暮らしが多くなって、時代の変遷を感じさせる今日この頃である。

 日頃、事務所で一緒にいるH子さんも、昨日は孫達が来るというので、事務所には来なかった。だが、この贈り物をもらった喜びだけは、孫の顔を見なくても息子たちの笑顔が十分想像できるのだ。

2008/06/16(月)


地震!
 ここのところ、毎日のように太平洋側の地域で小規模な地震が起きていたが、ついに大きいのが来た。昨日の朝、テレビを見ていて急に緊急地震情報が出た。東北地方とある。

 場所は遠いので安堵するが、この緊急地震情報は震度5弱以上の場合にでるから、どんな規模でどれほどの被害が出ているのかが気になる。

 地震は「岩手・宮城内陸地震」と命名された。マグニチュード7.2、深さ8kmとある。規模は阪神大震災の震度に迫る。テレビでは崖崩れや道路や橋の崩壊が生々しく報道される。

 この地球は完全にアースチェンジと呼ばれる大破壊に突入した。ここ2,3ケ月でもミャンマーのサイクロンや四川大地震など、短期間にこれほどの被害を出す災害に遭遇した。

 これから一体、どんな災害が待ち受けているのだろうか? 私の住む富山市でも市内の中心部を呉羽山断層が走り、いつ動いても不思議ではない。

 災害や事故で多くの犠牲者が出た地域は、亡くなった犠牲者の無念の念で固まっている。それは一つのカルマとなって、その地域を不浄にする。いや、地域が不浄だからこそ災難に遭うのかもしれない。

 この日本はどこに住んでいても災害に遭う確率は大きい。だから地域が安定し、大難の災害が小難、または無難に収まるよう次元を超えた力を得ることが求められる。

 そこで前にも書いたが、私の教団が7月20日(日)に富山市を縦断する神通川の河川敷において、先の大戦で亡くなった空襲犠牲者の供養をすることになった。

 富山市は昭和20年8月2日の未明、B29174機の空襲を受け、死者2737人、負傷者8000人という、一地方都市としては最大の被害を被った。

 その非業の死を遂げた人々を救わねばならない。死してなお苦しむ犠牲者のみ霊を成仏させねばならない。その無念の念を晴らしてやればこそ、地域が安定し社会が平和になるのだ。

 それを成せるのは釈迦が残した成仏法だ。死者を完全に成仏させる、この法により死者は安心して冥土へ行ける。その趣旨において、第7回富山土地浄霊「富山空襲犠牲者成仏供養護摩法要」は、死者が一番苦しんで亡くなった神通川の河川敷で挙行される。

2008/06/15(日)


人の悪を言わず、己の善を語りません
 「今日一日、人の悪を言わず、己の善を語りません」

 これは私が23年前、ある社会教育団体に所属し、学んでいたときの朝の誓い五箇条の一節である。私はこの間、15年に渡って倫理道徳を学び、日々実践するよう努力してきた。

 日常生活で人に接し、いろんな話をする場合によく思うのがこの言葉だ。親しい仲間こそ、自然と人のうわさや行動に対する話題が事欠かない。

 人はどうしても自分をひいき目に見てしまう。だから自然と自慢したり、時には人の悪口を言っているのに、それに気づかない。また人を批判し中傷することで優越感を覚え、自分の気持ちを楽にして時には快感さえ覚える人もいるのだ。

 その点、私は15年間の学びがあるため、時々自分を反省することができる。会で学んでいたとき、よく言われたことが、「この倫理道徳は宗教への登竜門です。」との言葉だった。

 あれから23年の歳月が過ぎ、今は浮世の世界からあの世の世界への旅立ちのため修行をする毎日だが、人との関わりがある以上、この倫理道徳が欠かせない。

 仏教にも「心解脱行」というのがある。これは仏教を実践するうえでの心の鍛錬を説いたものだが、案外これがおろそかになる場合が多い。

 人として生きて行く基本はこの心解脱行だ。ここには人を愛しみ、人を助ける「利他愛」しかありえない。総ての人がこの利他愛を持つことができれば、この世は極楽となる。

 だが現実はご覧の通り。毎日忌まわしい事件や自殺、事故などの報道が後を絶たない。人は不完全な生き物だ。だからこの欠陥(因縁)を切るための「法」が必要となる。

 それにしてもこの娑婆世界の混乱を思うとき、自らの魂を浄化し、次元をあげようと思う人の何と少ないことか! ここらで自分はいかに生きるべきかをじっくりと考えてみるのも、人生をよりよく生きる糧となる。

2008/06/14(土)


川原のナデシコ
 8日の日曜日は用事で石川県の加賀市へ行った。富山ICから富山県第二の庄川を渡る。助手席に座り、左前方を見ると、川原が濃いピンクに彩られている。

 これは一体何だろうか? そうだ! これはムシトリナデシコだ! この時期、ナデシコはどこにでも咲いている。でもすごいなぁ! 川原が一面にナデシコのピンクで埋まっているよ!

 そこで昨日は写真を撮りに行くことにする。庄川は私の家から約30km、50分足らずで着くと、やはり川原が一面にピンクのナデシコで埋まっている。

 すぐに堤防の上に車を置いて、川原へ降りる。川原は大小さまざまな石の原だ。清流が流れ、その岸辺にも濃いピンクのナデシコが密生していた。

 高速道路の橋から上流約2kmに渡って幅300mも密生している。こんな石ころだらけの川原に、どうしてこんなに密生して咲いているのだろうか?

 昨年はこの川も増水で川幅いっぱいに水が流れたはずだから、どこから種が流れついたのだろうか? これほどの規模で咲くナデシコは見たことがない。

 快晴で青い空と清流を眺めながら、ピンクのナデシコを撮りまくった。久しぶりにこの花園に出会い、やっと買ったばかりの一眼デジカメの出番が出た。

 この風景はHPトップでこれから順次掲載します。

2008/06/13(金)


顔を見ないでください
 火曜日は皮膚科へ行き、顔のシミをとるため液体窒素を塗ってもらう。これで3回目。今度は寝台に横になり丁寧に塗ってもらった。

 ところがその日より身体の調子が悪い。倦怠感が強く、神経症の症状が出て気分が悪くてしょうがない。どうしてだろうか?

 どうもシミを皮膚から剥離し、新しい皮膚を作るのに相当の負荷がかかっているらしい。顔がヒリヒリし、かゆくてしょうがない。そのために体調まで悪くなるのだろうか?

 顔のシミは2日も経つと、黒ずんできて右の顔面が十数箇所腫れてきた。これじゃとても人に見せれる顔ではなくなる。だがこれがかさぶたになり取れるまで辛抱しなければならない。

 明日はNHKのギャラリーで写真仲間の”すぎこ”さんの写真展がある。掲示板で行く約束をしたので出かけようと思うが、こんな顔を見せるのが辛い。

 顔の半分を隠して出かけようかな! でも不自然だろうな。ブス男が益々ブスになる。でもこれは一時の恥、直れば元の肌になると思うと、醜い顔も我慢しなきゃ! 

 老人斑は直してもまた出てきますよと、医者が言った。私は今まで紫外線に無防備だった。さすがに雪山だけはサングラスをかけたが、高い山に登るときは日焼け止めが必須の手当てとなる。

 梅雨が明ければ夏山シーズンが始まる。今年は新しいデジカメ買ったけど、まだ本格的に写していないので、天気が良ければ庄川のナデシコでも撮りに出かけようかな。

2008/06/12(木)


ショック!
 昨日は朝早めに事務所へ行く。今日は当番の日なので一日中いろんな仕事があり、忙しくなりそうだ。事務所に着くと事務のA子さんが掃除していた。

 「あら! お帰りなさい。中村さんは今日、夜も会議があるのでしょう? どう? 家へ帰って出直すの?」
 
「うん。少し時間があるから家へ帰って食事してくるよ。」

 と、いう会話をしたらしい。これはあとでA子がはっきりと私に確認したという。

 着替えをしようと服を脱ぐと、大事なものがない。

 「しまった! 大事なものを忘れてきたぞ!」

 その前の日は石川県の加賀市である式典があり、A子たちと参加していた。そこで命より大切なあるお守りを無くしたらしい。

 このお守りがないと、人を助けることができない。私はパニックになる。師からいただいたこのお守りを無くすことはすごく不徳になるのだ。

 落とした場所は推定できるので、すぐに加賀市の事務所に電話して捜してもらう。だがこのお守りは出てこなかった。

 帰宅時間になるとA子が言う。

 「中村さん、家へ帰らないの?」
 「いや、帰らないよ。今日は夜も会議があるからね。」

 「何よ、中村さん! さっき帰ると言ったじゃない!」
 「えぇ? そんなこと言った?」

 私は全く記憶がない。会話したことすら覚えていない。どうしてだろうか? 大切なお守りを無くしたショックで、みんな忘れてしまったのだろうか? それともボケが始まったのだろうか?

 長い会議が終わり、終電で帰途に着く。家へ帰り思い当たることがあり、押入れにしまった背広のポケットを触ってみた。

 「あったぁ! お守りがあったぁ!」

 私は安堵する。やっと見つけたぞ! ここにあったのか!

 実は式典で着替えしたとき、いつも入れる袋に入れなくて、どうしたことか着てきた背広の内ポケットへ入れたらしい。だが全く記憶がなかった。

 ここのところ、こんなことがよくある。自分の行動がよく覚えていないのだ。私はショックに弱い。何かのアクシデントがあるとすぐにうろたえて、我を忘れてパニック状態になってしまう。

 これも私が持つ病癖の一つ。まだボケではないようだが、強い脳障害の因縁を持つ私は、いつボケになるか分からない。だから、ぼけにならないように瞑想や読経をして頭の訓練をしているのだ。
 

2008/06/11(水)


嫉妬心
 嫉妬心は何一つ得になるものはない。だが、世に中にはこの嫉妬心で悩む人も多い。それは自分が現に手にしているものを破壊し、自分の感情をすさんだ醜いもので満たし、健康を損ね、人生を苦渋に満ちた不愉快なものにする。

 現代人は少なからず、この心の因縁がある。私もその一人。程度は軽いが、時々、仲良くしている人を見ると羨ましくなる。

 嫉妬は自分と他人との怒りに満ちた比較であり、そこには自分をも他人をも傷つける感情のみが存在する。嫉妬心が起きる原因は人さまざまであろう。それは他人がもっと持っている、ということについて嫉妬するのである。

 嫉妬心が起きるのは、今持っているものに感謝の心が足りないらである。自分が持ち合わせているものに心から感謝し、徳を積み、能力を高めるようにすることで少しは解消できる。

 他人の成功や富を賞賛し、祝福する習慣を身につけ、逆に他人を祝う気持ちが大切である。また自分より劣っていると思う人に援助を惜しまない。

 人は外見だけでは判断できないものである。どんなに優れた人でも、悩みがないわけではない。それは誰にも分からない。それは人間としての生身を持つ以上、どんな人にも悪い因縁のいくつかはあるからだ。

 ではいかにしてこの嫉妬心を取り去るか? それは心解脱行と呼ぶ、心の因縁を取り去る修行から始まる。だがこれが本当に難しいのだ。

 先日もある人から私は注意を受けた。私が「あの人は自分の言ったことがどれだけその人を傷つけているか、自分では分からないものだね。」と話すと、

 彼は「中村さんも時々きつい言葉を発するよ!」という。

 そうだろうか? 私はいつもそのことに気をつけてしゃべっているつもりだが、話の中には人を傷つけるような言葉があるのかもしれない。

 私はすごく感受性が鋭い。だからちょっとした言葉を重く受け止め、それを自分への非難に思うことがある。恐らく友人はそこをついたものであろう。

 嫉妬心は自分に何一つプラスになるものはない。よく分かっているはずだが、その心は機会があるごとに姿を現す。思ってはいけないと思うと、益々苦しくなる。

 それを取り去るのは、今の自分にまずは感謝をする心から始まる。

2008/06/10(火)


信じてください
 昨日は用事で午後7時に家へ帰り、風呂に入って食事し、すぐにNHK大河ドラマの篤姫を見る。見終わって続いてニュースを見ると、とんでもない事件が飛び込んできた。

 新宿秋葉原の電気街で25歳の若者が通り魔事件を起こし、17人の怪我のうち、7人が死亡した。過去30年でも最悪の通り魔事件だという。

 私は6日の日記で東京都江東区で起きた遺体をコナゴナにしてトイレへ捨てた事件を書いたすぐ後だったので、そのショックはおおきかった。

 私はその日記に次のように書いている。再度載せよう。

 「いま銀河の核からエネルギー粒子が放射され始めた結果、現在地球の光の密度が次第に増加してきている。だが、人類はそれが高次の意識状態を産む種子であることを理解する段階にまでは到達していない。

 それは何を意味するか? この宇宙からの波動エネルギーは肉体に進化をもたらす意識のシフトとして、あらかじめ組み込まれた「遺伝子コード」を起動させるという。

 それは物質的肉体はエネルギー体へと進化することになり、その結果、人類は長い間閉じ込められていた三次元の世界から飛び出して、四次元、五次元世界への移行が始まり、絡まった糸が一気にほどけるように宇宙の真理や自身のルーツを理解することができるようになるという。

 ここからが問題である。この宇宙からの高いエネルギーの照射が総ての人間に好結果をもたらすわけではない。意識がある程度のレベルに達していない人間には、意識の覚醒どころか、精神的な障害をもたらしかねないのだ。

 近年、感情のバランスを崩して極度のうつ状態に陥ったり、人間とは思えないような破壊行為をする人が増えているのは、そのせいでもある。

 私は23年間、ひたすら霊性を求めて仏道修行に励んできた。そこで学んだことは、釈迦はかなり高次の霊界から来た霊格の人であり、それを引き継ぐわが師もそれに続く霊格をもつ人と理解した。

 地球人類の創生計画に参加していたシリウス人たちが、人間の細胞の中にある種の潜在的なDNA情報を組み込んだ「遺伝子コード」が、この宇宙からの高次の波動エネルギーを受けていま開きつつある。

 それは人間の意識の覚醒であり、この三次元を脱してより霊格の高い四次元や五次元への飛躍のために行われる。だがこの次元上昇に不可欠な遺伝子コードも、意識のシフトがある程度進んでいないと起動せず、物質的肉体に化学的変化は起きない。

 宇宙法則は「利他愛」と「調和」だ。それは昨日の宇宙のしくみに書いたとおりである。私の書くことが読者に理解できるかどうかは分からないが、いま人類に未だかってない試練が訪れていることだけは間違いないであろう。

 信ずるか否か、それは読者が選択する。私はただ23年の仏道修行で学んだ真理と、この五次元入門など五次元文庫を読むと、これからの人類の行く末が手に取るように理解できるのだ。

2008/06/09(月)


宇宙のしくみ
 嫁いだ娘が「五次元入門」(徳間書店)を貸してくれて、ようやく欲しかった本が手に入った。五次元入門はこれから始まる次元上昇と地球大破壊を克明に書いた本だが、その中で金星人クリステーナが金星の五次元世界から来た体験談を話してくれた。

 クリステーナについては私にも過去の記憶がある。私は若いときから異次元や宇宙人、霊界などに興味を抱き、集めた本は100冊を下らない。その中に「超真相・宇宙人!」(徳間書店)深野一幸著の本を思い出した。

 書棚から取り出して読む。この本は今から16年前に買った本だが、その内容は驚くことに、「五次元入門」と同じ内容の記事が多い。

 その中に「宇宙のしくみ」という項があった。宇宙のしくみについてはこのように書かれていた。

 宇宙は多次元世界と物質世界が重なった構造をしており、多次元世界が本質の世界で、物質世界は多次元世界から作られた従の世界である。

 多次元世界の究極次元には、宇宙全体を作り、宇宙の運営システムを作った創造主(究極の次元の生命体)が存在している。そして創造主は自分の分身として人間の霊魂、動物霊、植物、鉱物など多数の「霊的生命体」を作り、宇宙において学びながら霊的に進化するシステムを作った。

 要するに物質界は、霊的生命体が学んで進化するための教育の場所、いわば学校として作られたものである。すなわち、物質界には人間、動物、植物、鉱物が存在しているが、それぞれに霊的生命体が宿って、物質界で生活し霊格を高めて霊的に進化するシステムを作ったわけである。

 では人間の場合はどうやって霊格を高めて進化するのかというと、それは「宇宙の真理」や「宇宙法則」を遵守した生き方をすることである。

 宇宙の真理とは「愛」と「調和」である。この愛は、自分を犠牲にして他に与える「利他愛」であり、調和とは動物、植物、鉱物など物質世界の万物と調和して生きることである。

 要するに自分の欲望を捨てて他に与え、万物を愛し、自然と調和して生きる生き方が霊格を高め進化するのである。

 いかがであろうか。今、時代は科学の進歩に精神性が追いつかず、いずれは強制的にアセッションとアースチェンジを迎えるであろう。それも地球の運命と心得て、今を生きなければならない。私はその足跡が聞こえるのだ。

2008/06/08(日)


カラスの死骸が見当たらない
 五次元文庫の「波動の真理」を読んでいて、面白い記事にであった。UFO研究家の矢追純一さんの著書で「カラスの死骸はなぜ見当たらないか」にすごく興味がわいたというのだ。

 それはカラスや野ねずみなど、大量にいる野生動物の死骸が全く確認されないことだ。カラスをはじめとする鳥たちや、野生のサル、ウサギ、クグラ、ヘビ、カエルなど、それに沢山の虫たち。

 本来ならあらゆるところに彼らの死骸が落ちていてもおかしくないのに、世の中、異常なまでにきれいにサッパリとしている。なぜだろうか? 彼らは死ぬとき、消えてしまうのだろうか?

 そういえば私にも心当たりがある。小さい時から田舎の山野を歩き回っていたが、一度も野生動物の死骸を見たことがなかった。見るのは車に轢かれた小動物だけである。

 大本教の出口王仁三郎はこのように神界からの霊示を受けているという。

 「虎・狼・猪・熊・狸・狐など野山に住む獣類、さては鳩・鳶・カラス・雀などの鳥類にいたるまで、死骸というものをこの土に残さぬ。人に殺される場合は別として、自然に死んだものはこの世に屍を残さないのだ。

 それは一定の時がくると、屍解の法によって身体をもって霊界へ入ってしまうのである。彼らには欲というものがないし、執着心もないので、実際きれいなものである。

 虎狼の欲ということわざがあるけれども、彼らは腹が膨れてさえおれば、決して他を犯そうとしない。人間の欲となると恐ろしいもので、その日の糧どころか、一年中食べても、一生食べても余りあるほどのものを蓄えながら、まだそのうえに他のものを自分のものにしたいという欲望の絶えることがない執着が恐ろしいのだ。

 「彼らは何の痕跡も残さず消えてしまう」という考え方がある。なぜか? それは霊魂を持つものに、そしてそれに飼われるものは、死して死骸を残す。しかし、それ以外のものは、物質化すべきエネルギー源を持たないわけだから、寿命が終えたとき消滅するのだ。」

 これは「波動の真理」(徳間書店)の著者、江本勝氏の仮説である。私の考えもこれに近く、人と動物の違いは、人間は煩悩のゆえに霊的存在となって輪廻転生する、すなわち死して屍を残す、といえるのではないでしょうか。

2008/06/07(土)


死体バラバラ遺棄事件
 東京都江東区のマンションで起きた、遺体をコナゴナにして遺棄した殺人事件は常軌を逸する大事件となった。これほどの犯罪は聞いたことがない。その殺した遺体を細かく切断しトイレに流す異常さは、常人には到底理解できるものではない。

 この異常な殺人事件を目の前にして思うことがある。それは「五次元入門」の著者がいう次の言葉だ。

 「今、地球は銀河の核から高エネルギー粒子が放射され始めた結果、現在、地球の光りの密度が次第に増加してきています。

 地球の物理学者たちも最近そうした粒子の増加を測定し始めていますが、まだそれらが高次の意識状態を産む種子であることを理解する段階には至っておりません。

 すでに意識体としての地球は、高い波動のエネルギー場へと向かいつつあります。それを追いかけるように、人間やあらゆる動植物も次元上昇に向かって進もうとしているのです。」

 その次元上昇時に際し、肉体に進化をもたらす力については、その意識のシフトがある程度進んだ段階で、遺伝子コードが引き金になってシフトが一気に進むのだという。

 宇宙からの高い波動を受けることによって、人は次第に意識が高まり、その意識のシフトによって遺伝子コードが起動し始める。原子の振動数が次第に高くなり、物質的肉体はエネルギー体へと進化することになる。

 すなわち、人類はいままで長い間閉じ込められてきた三次元の世界から飛び出して、4,5次元世界への移行が始まり、絡まった糸が一気にほどけるように、宇宙の真理や自分のルーツを理解することができるようになるのだという。

 ただ、宇宙からの高エネルギーの照射が、総ての人間に好結果をもたらすわけではない。意識がある程度のレベルに達していない人間は、意識の覚醒どころか精神的な障害をもたらし、感情のバランスを崩して極度のうつ状態になる人、人間とは思えない破壊行為を行う人が増えてくるのだ。

 その通りだと思う。このバラバラ殺人事件をおこした犯人の心理状態はとうてい理解できないが、何かそうさせる力が働いたのに違いない。

 今、人類は進化の過程にある。それは次元の上昇という進化なのだ。それが何の支障もなく行えるかどうかは、物質的欲望や自己本位の生き方から一刻も早く脱却し、霊性の目覚めに向かって努力する意外にないことを知らしめてくれる。

2008/06/06(金)


写真をください
 先日、知り合いの方からまた写真を頼まれた。昨年、紅葉した秋のブナ林の傑作をあげたのだが、今度は春の風景を欲しいと言われた。

 写真は玄関に飾るのだという。

 「Yさん、どれにしようかな? 湖面に浮かぶ1本のブナの木が良いかな!」
「どれでも良いのよ。中村さんの薦めるのでいいの。」

 でも田舎のヤブ椿が咲くブナ林も良いかな? 私は思案する。部分的な風景か、広大な風景かで趣はちがう。そうだな。今度は湖面にひときわ引き立つブナの木を写した写真をあげよう。

 この作品はまだ私が写真を初めて間もない時期に撮ったふるさとの写真だが、運よく富山県の勤労者美術展に出品したら入選した作品だった。

 早速、キタムラで全紙にプリントしてもらう。ご婦人は大の写真好き。家中が写真を好きという。

 このように人に喜んでもらえる写真を撮るのは写真冥利に尽きる。これまでカレンダーやイベントに多く使っていただき、少しでも世の中に役立ち、喜んでもらえると思うと嬉しくてしょうがない。

 だがここのところ写欲が沸かず、HPの更新もままならない。体調が悪く出歩くのがおっくうになるのだ。今年は運気が悪くやる気がないので、今はじっとして来年まで待とうとおもう。

 毎月更新する「今月のテーマ」も過去ものばかり。近いうちに「今月のテーマ」を更新するので、是非ご来場ください。写真にはご縁のあった茨木市の朝妻力様が主唱されている俳誌「雲の峰」より、会員皆様の中から選んだ短歌を添付しています。

 乞う! ご期待!

2008/06/05(木)


自転車
 家内が自転車がパンクしたという。家内は免許証を持っていないので、唯一の足は自転車なのだ。その自転車がパンクし、重い自転車を引きずって帰ってきた。

 見ると前輪のタイヤが破裂している。全体が磨り減り、皮が裂けている。
 
 「よく乗ったなぁ! これじゃ、タイヤを交換しなきゃいけないよ!」

 今の世の中、夫婦で車を持つ時代なのに、なぜか家内は身近な自転車を愛用してきた。この自転車も10年以上乗っているので、全体にさびが出ている。

 「父さん! 新しいの買ってよ! 私が車を持っていたら、相当経費もかかったし、自転車なんて安いものよ。」

 それはその通りだろう。例え軽四にしても年間30〜40万円は下らない。

 「そうか。その通りだな! じゃ、新品買いに行くか!」

 と、いうことで昨日は妻のために、少し高価な自転車を買いました。歳をとっても負担の軽い3段変速つきのものですが、横に電動自転車を見ながら、それだけは手が出ませんでした。

 今は温暖化のためにCO2を減らすのにやっきになっています。便利な車社会も温暖化には敵いません。最近は若者のなかに車離れがひそかに進んでいるとか。

 在職中に、部下が言いました。家には車が7台あるんだ。父母に自分達夫婦、そして子供達の通勤用でね。屋敷が広いからよいけど、すごいだろう。

 それはすごい! 市内から10kmほど離れた寒村だから通勤用に当然としても、家族みんなが1台ずつ持っているとはすごい!

 でも今はどうかな? 6月からガソリンが175円になって、過去最高になりました。これじゃ、私のような排気量の大きいバンは走れないね。

 世間では郊外の飲食店の客足がめっきり減ったといいます。家族で食事をするための車が、近くの繁華街へ向かったようです。

 この先、200円も覚悟しなければならないと予測する人もいて、自転車の利用が益々重要視されてきました。皆さん、健康のためにも自転車に乗りましょう。

2008/06/04(水)


美肌情報その後
 顔のシミをとりたいために皮膚科の門を叩いて3週間が過ぎた。その間、2回の液体窒素をシミに塗り、その効果を自分で確認する。

 最初の1回目はほとんど効果らしきものは感じられなかったが、2回目は塗って2,3日すると顔がヒリヒリし、シミが凝縮されて黒く変色し、黒い豆のようにシミのあとに浮き出てきた。

 顔中、黒い斑点のようにシミが浮き出ると、格好悪くてしょうがない。毎日会う人には事情を言って理解してもらっていたが、できるだけ外出しないようにしてしばらく家にいた。

 そのうち黒い斑点が薄皮がはがれるように取れて、地肌が出てきた。よく鏡で見るとシミは少し取れているようだ。だがまだ完全ではない。

 医者は数回塗る必要があると言っていたが、やはりもう1,2回塗る必要があるようだ。今度は来週の火曜日に行くので、次が楽しみになる。

 毎日会うF子さんの肌はすごくきれいだ。多くの人がどうしてそんなにきれいになるのかと聞くそうだ。そこで私も聞いてみた。

 「F子さん、F子さんの肌は歳の割にはすごくきれいだけど、毎日どんな管理をしているの?」

 「そうねぇ! 特別な化粧水は使っていないのよ。薬用石鹸で毎日顔を洗うだけ。化粧品にはいろんな成分を混ぜているでしょう。決して顔に良いとは思わないのよ。」

 私はこの歳になっても顔をきれいにしたい。F子さんを前に私は言った。

 「この歳になってもオレはまだ女性にもてたいからね!」

 F子は笑って、何も言わなかった。自分と同じ感覚を感じたから、薄笑いしたのだろう。私は美に対する感覚は鋭い。だからいくつになっても美しくなりたい。でも顔の形だけはどうしようもないのだ。

 その容姿を誹謗中傷する人がいる。だが私にはどうすることもできない。

2008/06/03(火)


毎日何をしているんだい!
 家内が九州一周旅行から帰ってきて、二人でゆっくりくつろいでいた昨夜、元同僚のH君から電話があった。久しぶりなのでびっくりする。

 「オイ! 中村! 毎日何をしているんだい!」
 「オレか! オレは忙しいよ。」

 「まだ写真撮っているんか? ところで五箇山の人形山が山開きで登りにいったんだ。ところが体力がなく、途中で帰ってきたよ。人形山は新百名山の仲間入りしたが、君は登っているんか?」
 「いや! 人形山は登ったことないよ。立山近辺なら登ったけどね。」
 
 「今日は写真のことで話をしたいんだ。デジカメはどうして液晶画面を見ながら撮るんだい? ファインダーついていないよ。」
 「そんなはずないけどね。液晶画面が大きいから見やすいからじゃないの?」

 と、言うことで何年ぶりかで電話がかかってきて、お互いが近況を語り合った。彼は在職中から我々には及びもつかない発想をする人で、今回の目的は写真のプリントについてだった。

 「中村! お前は故郷の風景を大きく伸ばして見ようと思わないのか? 望郷の思いがあれば写真を大きく引き伸ばして見たいと思わないのかよ!」
 「そうだな。オレは写真展に出すサイズで、全紙程度までしか伸ばさないよ。」

 彼には大きさの呼び方や程度が分からない。

 「オレはフイルム状の写真にして、窓のガラスに貼り付けて毎日眺めたいんだ。ガラス窓は畳一枚程度はあるだろう。ホラ! よく駅で見かけるようなヤツだ! 車のガラスにも張ってあるだろう。」
 
 「フイルム状? そうか! 要するにフイルムを大きくして窓に貼り付けるんだな? そんなこと聞いたことないよ。オレは知らない。専門家のキタムラでも訊いてみたら?」

 彼はITに強く、最近のデジタル画像に興味があるのだろう。家の窓を写真のフイルムで覆い、家の中から窓越しに故郷の風景を眺めたいと言う。

 なるほど! 発想はわかるが、家の窓をみんな写真にしてまで見ようとは思わない。彼は少しがっかりしたようにして、電話を切った。
 
 「たまには遊びに来いよ! 毎日何をしているんだ。」
 「オレは宗教活動で忙しいよ。でも暇になったら来るかもね。」

 彼は体力が落ちたといえ、まだ山にも登るし、写真への興味もある。特異な発想をする彼の頭の構造は今も健在だった。

2008/06/02(月)


お前はダニだ!
 今日の読売新聞の人生案内は痛烈だった。30年以上も連れ添った妻に、
 
 「お前は30年以上も毎日遊んで暮らしてきた。オレのダニみたいなものだ。寄生虫だ!」

 妻は何も言わずに次の日忽然と姿を消して、その後2ケ月経っても音信がない。反省して謝ろうと思っていたが、後の祭り! 毎日が後悔の日々とある。

 同じ新聞に、ブログに悪口を書かれた高一の女子生徒が自殺した。そうかと言えば、同じ新聞の広告欄に、「人を傷つける話し方、人に喜ばれる話し方」の本が22刷、15万部突破とあった。

 何たるタイミング! 人を誹謗中傷する人、される人。世の中いつの時代も人間関係の悩みは尽きない。人を誹謗中傷する人は、案外自分の吐く言葉に無頓着だ。

 要するに人のことを軽く思い、相手がどのように思うかを深く考えない。これは夫婦であれば「夫の運気を剋害する因縁」となり、夫が心優しい人であれば、「後家の因縁」となる。

 幸運にも家内にはこの因縁がない。家内とは友人星だ。外へ出ればこのような人にたびたび出くわし、優しい私は反論しない。好きな人の場合、今に分かると思い、私はグ〜!とこらえるのだ。

 だから私が剋される。H子が言った。

 「中村さん、そんな時はすぐにそばを離れるのよ。相手にならないことね!」
 
 しかしだ。一言でも漏らした言葉を聞く後味の悪さは消えない。強く言えばお互いが気まずくなるだろうから、こちらが我慢するのだ。

 それを癒してくれるのが家内だ。一番長い時間を過ごす家内との関係が、これほどまでに重要だと思ったことはない。新聞の相談者はいつも思っていたことが、ある日突然、口に出てしまった。

 人は自分の欠点に案外気づかないことが多い。口は災いの元、自分の隠れた欠点が何かをよく観察し、それを正すことができるのも人として重要な資質である。

2008/06/01(日)

My Diary Version 1.21
Written by 中村邦夫 CGI提供じゃわ