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>> 2012/04

健康診断
 年に一度、市から健康診断の通知が来る。この歳になると必ず受けるが、昨日は近くの病院へ検査に出かける。ここ3週間ほど胃の調子が悪く、置き薬ばかり飲んでいた。

 胃のみぞおちに不快感があり、食事が進まない。もしかして”がん”かな? すぐにがんを空想する。私が子供のころはがんと言ってもあまり聞いたことはなかったが、今は死因のトップだから気が気でない。

 しかし、昨日と違ってこの朝は何の違和感もなく、採血や心電図などの検査を受ける。最後に老齢のお医者さんが聴診器で診てくれた。

 先日、会社でともに働いた同期のM君が死んだことを知る。彼は福井県の出身だから会社から来た退職者の会の機関誌で知ったのだが、死因は何だったのだろうか?

 死はその人の人生を総括する。どんな死に方かでこの世の学びが分かるのだ。そしてその死が次の生を型作ると考えたい。

 長寿を全うし、老衰でピンピンコロリが理想だが、ほとんどの人が理想と程遠い。昨夜もNHKクローズアップ現代で放映していたが、人生の最期をいかに迎えるかが大きな問題となっている。

 意識もなく胃ロウで十数年も寝たきりの人もいる。また病気ではなく、突然の事故や事件、自殺や他殺、災害や人災でなくなる人も多い。

 死に際で一番大切なことは、この世に未練を残さないことであろう。不慮の事故はいざ知らず、老いて人生を全うする生き方が一番幸せなのだ。

 なぜならこの世に未練を残すと、霊的な障害を発することがあるからだ。死してしかるべき霊の世界へ行かねばならないのに、この世の想念が頭を離れないで残念無念の念を持ち霊界の下層で苦しむ存在である。

 特に突然の死は死を自覚できない場合が多く、現世に執着しその延長線上で無念の念だけの存在となる。これは何も私が見てきたものではない。その有様は臨死体験や幽体離脱した人たちが明らかにしているし、釈迦も弟子たちにその実態を説いた。

 それはこの人間の体が魂の入れ物であり、単なる受け入れの器に過ぎないと信じることで理解できるであろう。

 健康診断から変な話になった。いつものことなのでお許しいただきたいが、私の生涯のテーマである「人はどこから来てどこへ行くか?」の一こまが出ただけのものである。

 私もあと10年足らずの寿命であろうが、この死生観は誰もが考えなければならない問題でもあろう。

2012/05/18(金)


海外での殺人事件
 昨夜のNHKニュースウォッチ9で大越キャスターが、この2年間で外国で殺されて犯人が検挙できない人が33人に達したと報じていた。それらの人は恐らく一人旅で殺されたものと思うが、ある27歳の娘を殺された父親がタイを訪れ、殺された経緯や警察の対応をルポした映像を見て私の次男を思い出してしまった。

 私の次男は大学に入るとインドや中国、東南アジアを一人旅し、幾度も死ぬ目に遭って帰国した。それはフリーランスライターを目指すため、危険な現場に入りルポするのである。

 詳細はもう十数年前のことなので忘れた部分や思い違いもあろうが、これほど親を心配させたヤツもいない。事の発端は小学生のころから始まる。

 当時出始めのパソコンを買い与え、ゲームソフトを作り出した。今のものからみればおもちゃのような代物だったが、それでも18万円はした。懸賞金のかかったゲームソフトを考案し、何度か賞金をもらい、できの良いソフトは市販されて印税をもらったこともある。

 それが中学に入ると物書きを目指すようになる。これも懸賞金のかかった小説を書くのだった。中学、高校と物書きに没頭し、大学に入ると外国を放浪しだすことになる。

 すべて一人旅で、インドに4回、中国のタクラマカン砂漠やベトナムのジャングルにも行った。インドは何か因縁があるのか、ここでいろんな経験をしてついに懸賞金をもらうことになる。

 それは舟橋聖一青年文学賞の最優秀賞である。「エレナ目を閉じるとき」と題したインドの麻薬など人身売買をルポしたドキュメンタリーで賞金100万円をせしめる。

 麻薬組織の中にもぐりこみ、命を懸けてその実態を調べようとするのは並みの力量ではない。殺されそうになりながらからくも帰国したが、食事が合わず痩せこけて服はボロボロ、サンダルを履いての成田では、オーム真理教の信者と間違われて捜査を受けたこともある。

 またあるヒンズー教徒の家にホームスティし、一ケ月もお世話になった。軍資金がなくなり、私に資金援助を頼むことになり、日本大使館へ送金してくれという。わずか数万円だったが、現金の郵送は禁じられていたが私は送ってやった。

 インドの一人旅では大学の同士が行方不明になり、その捜査を金沢の家族から依頼され、出かけたこともあった。その人の行程はついに途中で切れて分からなくなったが、恐らく殺されてガンジス川へ流されたものであろう。インドでは一人旅で行方不明になった人は200人を下らないと話していた。

 話はまだまだ続く。中国ではトルファンからタクラマカン砂漠を彷徨し、ついに遭難しかかる。どんな縁だったか知らないが、中国人民解放軍の飛行機で重慶へ運んでもらったと話していた。これは事実かどうか分からない。ヤツは時々大ホラをこくときもあるから!

 そして最後はベトナムの事件だ。何か遺跡でも調べたかったのだろうか、禁止されたジャングルに入り警察に拘束される。パスポートを取り上げられ、監獄に収監されるも無事帰国できた。

 生死をかけて書いた記事は月刊誌「新潮」に4度も掲載され、読者から高い評価を得たこともある。だがその向こう見ずな冒険は親にとっては最大の心配事だった。常に神仏に祈願し、成功よりも無事帰国できることを祈った。

 その後息子は大学の下級生と結婚し、大阪で居を構え、小さな出版社を営むことになる。今はスピリチュアルな妻と共同で事業を展開し、何とか成功しているようである。

 ヤツが今、何をやっているかは、私のHPから「ホノカ社」を見ていただければ分かるが、もう2児の親だから無茶な仕事もできまい。

 これでやっと私は息子を安心して見れるときがきた。

2012/05/17(木)


宇宙からの警告
 昨日は一日中雨が降り、ボランテアもないので家で過ごす。最近体調が悪く、特に胃がもたれて不快な気持ちがなくならない。こんな状態だとつい”がん”ではないかと疑いたくなる。

 今日は健康診断で病院で検査をするが、この歳になるとどこかが悪くなり体力の衰えを実感する毎日である。さて、家にいて何をしようか? そこで25年前に買った本を読んでみる。

 その名は「宇宙からの警告」(ケルビン・ロウ著 梶野修平訳)たま出版だ。この本はアメリカ・カリフォルニア州の森林局に勤めていたいちサラリーマンが異星人とコンタクトをとり、彼らから地球の危機を告げられる。

 それは有名なジョージ・アダムスキーと親交があり、1950年代から木星人や冥王星人と接触して多くの警告を受けたものである。

 アダムスキーは土星人の魂を持つウォークインと称されるが、彼もそのうちの一人であろう。俗にワンダラーとかウォークインと呼ばれる人々は、この地球を進化させるために宇宙人の魂を持ってこの世に生まれた人々である。

 高位の霊的存在や異星人たちは、あるラインを超えて地球や地球人類へ干渉することが許されていないので、ウォークインやワンダラーとして転生し、この地球で啓蒙活動を行っている存在である。

 そのうち一番多いのがワンダラーで、100万人を越えると言われるが、彼らは人間として生まれてきているので、転生の目的が思い出せないまま人生を送っている人が多いとされる。

 反対にウォークインは事故や病気で瀕死の状態にある人に異星人の魂が乗り移った人で、突然蘇生したその人は性格が変り、宇宙的発想のもと、覚醒した啓蒙活動にいそしむ例が多い。

 またこの地球には他の星から来た人々が多数我々の中に混じり生活している。そしてウォークインと接触し、我々に宇宙的な知識と知恵を与える。ケルビン・ロウ氏は木星や冥王星から来た異星人とコンタクトして多くの啓示を与えられた。

 この太陽系に進化した異星人がいるなんて我々は思いもよらないであろう。今の科学はこの太陽系に住む人類は地球だけだと教育されているからだ。

 だがそれは三次元の肉体を持つ人の話で、進化した彼らは何も三次元の肉体を持たずとも、四次元や五次元で霊魂だけで生活できるのである。そして必要とあらばいつでも人間型生命体に姿を変え、我々の前に現れることができる。

 信じるか否かはあなたに任せよう。だが、これだけは信じてもらいたい。この宇宙には人類をはるかに凌駕した知的生命体は無数に存在し、進化の遅れた星の援助を惜しまない。

 それは太古の昔から続く彼らの警告であり、神話や予言で伝えられ、霊的世界から多くの警告を受けた人も多数にのぼる。特にアメリカインデアンのホピ族に伝わる「預言」はことごとく的中し、今の混乱した世界の様子をあまねく言い当てている。

 「高い地位の猟師と低い地位の猟師がお互いに狩りあうだろう。低い猟師はテロリストを遣わし、高い猟師は必死で防戦する、そして世界中、どこでも統制が利かなくなるであろう。」

 これは今の経済格差から発する世界的なデモを予言している。ユーロ圏の経済が混迷し、再び信用不安が再燃しだした。すでにこの3ケ月はゼロ成長になり、ギリシアやスペインでは若者の失業率が50%を越えたとある。
 
 中国の水事情が危機的な段階になり、ほとんど回復の見込みがないまでに悪化しているという。暴風雨や旱魃などの異常気象に経済の破綻! 人心は乱れ、環境破壊は益々進む。この地球に未来はあるのであろうか?

 それは今こそ、彼ら進化した宇宙の先輩たちから知恵を得て、人類の進化に心を合わせるときである。地球のみが唯一の知的生命体の住む星だと信じる限り、人類に未来はない。

2012/05/16(水)


魚津大火
 最近、大きな事件が続けて起きる。関越道のバス事故に続き、今度は広島県福山市ではホテルが全焼し7人が死亡した。そうかと思えばフイリッピンでは貧民街の小屋500棟が焼け、1万人に及ぶ人々が焼け出されたという。

 昨日は富山県魚津市において、海難事故や交通事故、昔の一向一揆や戦乱、火災などで亡くなった人々の供養を行い、地域の繁栄と家庭の安穏を祈る法要が行われ、私も参加した。

 それは地域を浄化して霊的な穢れを癒し、平和な社会を築く礎となるものであり、仏陀が悟った成仏法により非業の死を遂げた幾多の人々を供養することにより成される。

 わが師は常に「御霊の鎮めなくして国土の鎮めなく、御霊の安らぎなくして家庭の安穏繁栄はない」と、我々に語りかけられる。

 魚津市と言えば思い出すのが市内を総なめにした大火である。昭和31年9月10日午後7時45分、真成寺商店街の呉服屋の納屋から出火した火事は、折からのフェーン現象と強風にあおられ、何と1583戸が消失、7219人が被災、死者5名、負傷者170名という大惨事となった。

 この大惨事はなぜ起きたか?それはこの土地が不浄であり、昔から幾多の非業の死を遂げた人々が助けを求めていたからであろう。

 非業の死を遂げた人々は死してなお苦しみの最中にある。それは死が現実のものと理解できず、死してなお生きていたときの想念の中にあり、霊界の下層で苦しむのである。

 その苦しみはマイナスのエネルギーであり、そのエネルギーは現世で暮す人々にも強い影響を及ぼす。ハンガリーの精神病理学者リポット・ソンデイ博士はそれを実証し、それを運命の反復現象とわが師は説かれる。

 だからこれらの人々を篤く供養し、その苦しみから逃れて輪廻のできる霊界の上層へ導かねばならない。それが解脱供養と呼ばれるものであり、浄化運動である。

 この世は過去、数え切れない非業の死を遂げた人々で埋まる。それは今も延々と続き、また運命を反復するのである。かくして魚津地区の浄化運動は仏陀の成仏法により成された。

 この世が地獄となるか極楽となるかは、死者を篤く供養し霊格をあげてその魂を救えるかどうかにかかっている。

2012/05/14(月)


中国の交通死亡事故
 先日、関越自動車道で大型観光バスが大事故を起し、7人が死亡、多数の乗客が怪我をした事故が起きた。運転手は中国出身の河野化山で、居眠り運転など運転手と会社のずさんな管理が問われている。

 このニュースは日本全土を震撼させ、大きく報道された。どんな事件にしろ、被災者の家族は大きな悲しみと消えることにない苦痛に悩まされる。

 我々の社会は「車社会」だ。便利で安い交通手段として田舎ではほとんどの人が持っている。私の知っている家族なんか、一家に7台があるという。

 それはじいさん、ばあさんに父さん、母さん、息子に嫁さん、子供と、田舎の広い敷地だからこそ可能な車社会だ。車は走る凶器と呼ばれ、ちょっとの不注意で大きな人身事故を引き起こす。

 昨夜はNHKで東京スカイツリーの建設秘話を見ていて思ったことだが、あれほどの大きな塔を建てても一人のけが人や犠牲者もでない。ところが車は毎日多くの犠牲者を出している。

 その典型的な国が中国であろう。急速に発展する中国では、車の数もさることながら死亡事故が10年連続で世界ワーストワンなのだ。それでは車大国アメリカと比較してみよう。

 中国  : 1億 400万台  死者 6万2000人
 アメリカ: 2億8500万台  死者 4万2000人

 日本では7000万台で死者は4611人だった。この数字は何を物語るであろうか? 中国の死者が突出しているのだ。それは交通マナーと意識の欠如による。すなわち民意が低いのだ。

 人の命が軽んじられ、見通しの悪いカーブでも平気で追い越したり、割り込みや信号無視、確認しないでバックしたり、交通マナーはあってないような状況では当たり前のことであろう。

 今年に入り、死者10人を越す事故が11件起きたという。毎年1300万台以上が売れる世界最大の自動車市場では、インフラ事業の拡大とともに交通事故も天文学的に増加するであろう。

 さすがに政府も対策に乗り出したようで、交通マナーの啓蒙が成されるようだが、一時に改善できるようなものではない。物質主義や拝金主義が強い中国では「われ良し」の世界で、それは政治や経済すべてに当てはまる。

 私もこの40年で車8台、約60万kmを走った。その間、交通違反で切符を切られたのが3回、それも軽いスピード違反や一方通行違反程度。家内と喧嘩して30km制限を42kmで捕まったときもある。

 自慢はするまい。事故はどこでどうなるか誰にも予測はできない。追突された事もあり、したこともある。どれも軽い警察沙汰になるような事故ではなかったが、人身事故だけは細心の注意をして運転しなけらばならない。

 今日は約50kmを3人のご婦人を乗せて走るが、走る前に神仏の加護をいただく護身法を切る。それは運を良くする秘法でもあり、事故の皆無を祈願する法でもある。

2012/05/13(日)


格差社会
 世界の所得格差が益々広がりつつある。今日の読売新聞ではアメリカの富裕層1%が所得の17%を占めるまでになったという。それは1980年代初めから30年間で富裕層が爆発的に増えたことによる。

 この日本も戦前までは20%台だったものが、戦後は急速に下がり、今は約9%程度である。富裕層は金融界だけでなく、大企業の経営者が多数を占めている。

 これは何を物語るか。それは暴動である。世界金融危機以来、アメリカでは貧富の差の拡大でウォール街占拠が起きた。

 アメリカでは80年代まで所得税の最高税率は80%で平等な時代だったが、ドイツや日本に追い上げられ、富裕層への減税を大幅に減らした結果である。

 今欧州がその問題の渦中にある。中国しかり。いまや世界が富めるものと貧しきものに区分され、資本主義の崩壊が危惧される段階に達した。

 ここに1冊の本がある。それは娘が貸してくれたスピリチュアルな本「超巨大宇宙文明の真相」(ミシェル・デマルケ著)徳間書店だ。

 それはオーストラリア人のミシェル・デマルケ氏がティアウーバ星人に誘拐され、彼らの星に連れて行かれて地球の歴史を見せられる。それは彼らが我々の行く末を危惧してのことだった。

 宇宙の法則として彼らは直接我々に介入することを禁じられている。それは自らが進化の道を歩むことが義務ずけられているからだ。

 彼らはこの地球の貨幣制度が諸悪の根源だという。お金や物にこだわり、それが経済を引き回す限り人類の進化は望めない。

 彼らの星への道中、彼は核戦争で壊滅した星を見せられた。物質至上主義がまかり通ると争いは絶えない。それは科学が進歩しても精神が堕落するからである。

 彼らの星はカテゴリー9の最高度に進化した星である。我々の地球はカテゴリー1でまだ赤子か幼稚な子供の段階であると言う。

 その実像はこの本で詳しく知ることができる。この地球は科学は発達したものの、まだ精神的には赤子の段階にある。その結果は明らかであろう。

 その行く末を案じた彼らは間接的に我々に多くの学びを与えてくれる。ミシェル氏は彼らの実像をつぶさに見学して地球に持ち帰り、本にして啓蒙するよう使命を託された。

 だがそれを信じる人は一握りの人たちであろう。ミシェル氏だけでなく、幾多の人々が多くの異星人に誘拐されその実像を語り、本にして世に出している。

 この地球文明は最終章に突入した。我々の物質主義が今後どんな展開になるか、それはこれからの人類の生き方にかかっている。

2012/05/12(土)


消えた写真集
 昨日は家内と二人、近くのスーパーマーケットへ買い物に行く。近くに大型書店があり、立ち寄って最近の新刊書を見てみる。

 この新刊書のタイトルを見れば世相が分かる。このところハバを聞かせているのが経済に関する本だ。著名な評論家や学者がこれからの経済を予想する。

 昨日のニュースでも国債残高がついに960兆円に達し、毎年新規発行が40兆円に近い。ヨーロッパでは再び財政破綻の問題が持ち上がり、いつ世界が奈落の底に落ち込んでも不思議ではない。

 そんななか、いつもの写真のコーナーを見て回る。一昔はこのコーナーにあふれるほどの風景写真集があった。だが今は全くない。1冊だけ知らない人の写真集が包装して置いてあった。

 私が写真を始めたころはフイルムカメラの全盛時代、日本や世界の美しい風景を写真に収めた写真集が所狭しと置いてあった。大体、写真を始める人は興味のほかに、高価な機材を買う財力と暇な時間が必要だった。

 だから最初は金持ちの道具であり、写真を専門とする写真家の世界だった。機材も高価だし、フイルムも高いし、現像や焼き増しにお金がかかり、一般庶民の手が出るのは相当後になってからだった。

 私が写真に興味を持ち、一眼レフのカメラを買ったのは平成7年である。当時はバカチョンカメラと一眼レフが全盛時代。メーカーはこぞって新製品を出し、フイルムも鮮やかな色に進化した。

 私が買った機材は占めて150万円を下らない。それに写したフイルムは約500枚、そのうち半切や全紙に伸ばしたのが約50枚である。その金額は趣味としては決して安くない。

 それが激変したのがデジカメの出現だった。最初は幼稚なものだったがITの進化はスざましく、ついに一眼レフの分野でフイルムカメラに追いついた。

 一般にフイルムカメラの解像度は2000万から3000万画素だと言われるが、デジカメもついにその領域に達した。私の買ったキャノンのEOS60Dは1800万画素だが、全紙に伸ばしても遜色はない。

 デジカメはその取り扱いと価格、後の処理がフイルムと全く違う。写した写真はパソコンに入れ、HPやメールで誰にでも送ることができる。またプリンターを持てばカメラから直接印刷でき、家が写真店になるのだ。

 それだけにカメラ業界の競争は激しい。1年も待たずに新製品が出て、技術の進化が見て取れるのだ。カメラはデジカメで革命が起きた。それは子供から年寄りまで、誰でも失敗なく普通に写すことができる。

 それにもう一つの利点は大容量の記憶素子を買えば、最高の解像度でも数百枚も写せ、失敗したものは手軽に消去できる。フイルムでは成せない利点である。

 その結果、何が起きたか! それは写真集の激減である。もう写真集にして世に出す必要はなくなったのだ。写真集はデジカメの中にあり、誰でもプロ並の写真が撮れる。

 私が買い溜めた写真集は約100冊。それは有名写真家が写したフイルム時代の逸品であり、その中でも有名な山岳写真家の白川義員氏の「世界百名山」と「世界百名瀑」は1冊4万円で三部構成だが、貴重な財産として世界の絶景を堪能できる。

 国民みんなが写真館を作れる時代が来た。私もHPで毎日写真を更新し、美しい風景を堪能している。

2012/05/11(金)


ハナダイコン
 春本番となり、神通川の河川敷で借りた畑を耕す。広大な河川敷には100uに区画した畑が1000枚以上、年間2000円で貸してくれる。

 その神通川の土手にハナダイコンの花が咲いた。高さ4m程度の土手はこのハナダイコンの花で埋まる。今日からその花が咲く土手の写真をご覧いただこう。

 河川敷の畑は最高の土質で、作物が思うように収穫できる。私も昨年9月、奇異な縁で高校の同期生と遭い、ここで彼が耕していた3枚の畑の一枚を借りることになる。

 今は野菜の植え時期で、園芸店では所狭しと野菜の苗を売っている。私もナスやトマト、キャベツなどを買った。苗は接木したものが200円程度になるので、キャベツなど買っても同じ値段なので割りに合わないが、そこは育てる楽しみがある。

 ジャガイモの葉が大きく育ってきた。種を植えたトウモロコシやにんじん、ほうれん草も芽を出し、私を楽しませる。だがにわか百姓は畑作業のコツを知らない。

 昨日は隣のベテランじいさんに聞いてみる。

 「ジャガイモが大きくなってきたね。オレは植え方を間違ったみたい。」

 「ジャガイモはなァ! うねを掘って溝を作るんだ。イモは種の上にできるからな。その反対がサツマイモなんだ。サツマイモは種の下にできるんだよ。イモを大きくするには余分な茎をとるんだ。」

 にわか百姓は何も知らない。肥料の選別でも知恵を拝借する。

 「鶏糞は気をつけなよ! 15kg150円の安いものはだめだよ。熱処理して雑菌を殺したものでなければ作物を病気にするよ。」

 道理でたまねぎの発育が悪い。葉っぱが黄色になり枯れてきた。まだ玉になっていないので、果たしてうまく育つかどうか? どうも追肥として安物の鶏糞を撒いた影響かもしれない。

 「オレはなァ! 10年以上やっているが、何度も失敗したよ。でも今は見てのとおり、米作り農家の人が野菜の作り方を訊きにくるんだ。彼らは米はうまくできても野菜は素人なんだよ。」

 いやはや、この人すごいことをいう。人生、七転び八起き! 失敗するから楽しくなる。それは好きなことには当てはまるが、その意気込みは年老いても終生持ちたいものである。

2012/05/10(木)


通信革命
 通信業界も航空業界や高速バス業界と同様、競争が激しく、値下げ競争に明け暮れる。昨日は光通信をNTT西日本からKDDIに変更するための工事を行う。

 それはKDDIからの勧誘によるものであり、利用料が安くなるという。これで電話とインターネットはすべてKDDIになった。最初はNTTのADSLだったが、あるとき大手のスーパーでヤフーの勧誘を受ける。

 その説明で料金が安くなるためヤフーに乗り換えたが、うまくアクセスできなかった。すぐに解約し、今度は光ケーブルが来たので光とする。

 それが平成18年の6月。モデムはNTTのものだったが、今度はすべてKDDIに統一された。だがNTTは解約金が必要だと言う。占めて3万円だが、勧誘したKDDIはその解約金を全額払ってくれる。

 私が写真を始めたのが平成7年、まだ現役だった。そのとき考えたのが退職した老後の生き方である。仕事から離れれば自分の自由時間は十分ある。

 その余暇をいかに過ごすか、その一つが写真だった。高価なカメラを何台も買い、山野を駆け巡って思う存分撮りまくった。その集大成を記録に残したい。それがホームページだった。

 写真は老後の趣味として一人で遊べるが、記録に残るし、クラブに入れば仲間との交流や、上達すれば個展を開く道もある。趣味としてこれほど私を満足させてくれるものはなかった。

 それはフイルム時代全盛のころであり、老人会のような写真クラブにも所属し、楽しいひと時を過ごした。今はすでに写真クラブも解散し、その後新たに入会して楽しむ気力もなく今日に至る。

 カメラに革命が起きる。それはデジタルカメラの普及だった。最初は画素数も少なく、高価であったが、IT技術の進化により今ではフイルムに負けない解像度を誇る。

 私は何度、デジカメを買い換えたであろうか。確か、これで4台目だと思う。1年も待たずして高機能の新品がでれば替えねばならない。カメラを見てその技術革新のすごさが分かるのだ。

 私はもうフイルムカメラを使用しないであろう。冷蔵庫にはまだ当時のフイルムが多数保存されているが、とっくに賞味期限が過ぎている。

 今は老人から子供まで手軽に持ち歩き、好きな被写体を写すことができる。デジカメもついにフイルムに負けない解像度に達した。好きなように加工し、まるで絵画を描くようにできる。通信革命とカメラの進化はまだまだ続きそうである。

2012/05/09(水)


異常気象
 日曜日の荒れた天気はすごかった。私はその時、富山県の魚津市にいたが、急に風が吹き強い雨が降ってきた。救急車のサイレンが聞こえる。後で知ったが、雷に打たれて64歳の男性が死亡したのだった。

 栃木や茨城県では竜巻が発生し、1900棟の家屋が損壊し、1人が死亡した。その規模は幅500m、長さ15kmに及ぶものであった。

 過去にこれほど被害の大きな竜巻は記憶にない。竜巻の本場はアメリカだから、日本がこんな災害に遭遇するとは思ってもみなかった。

 今、太陽に異変が起きているという。日本の太陽観測衛星「ひので」が観測したデーターによれば、太陽の磁場が反転し、南極と北極の磁極が同時に反転するのに、北極がマイナスからプラスになっているのに、南極ではプラスのままだという。

 この現象は170年前と370年前に起きたと思われ、その10年後には太陽の黒点が減って地球が寒冷化したとある。

 この太陽の異常は何をもたらすか。それはこの太陽系の異常である。地球・先史文明研究家の浅川嘉富氏のHPによれば、土星や火星、天王星にも異変がみられ、それは地球にも甚大な気候変動の嵐が吹きすさむことになるらしい。

 今回の竜巻は東日本大震災で被害を受けられた人々にまた新たな災難を受けることになった。これから始まる地球変動はまだ序の口であろう。

 識者がこの竜巻に遭う確率は1万年に1回程度と、のんきな発言をしていたが、竜巻だけに限らずあらゆる災難が我々を襲うことになろう。被災された方々には気の毒だが。災難はいつどこで発生するかわからない。

 巷では2012年が滅亡の年のような雰囲気をかもし出しているが、それはありえない。その理由としてマヤ暦が12月21日で終わっていることによるが、一体何を訴えようとしているのであろうか?

 それは人類の覚醒である。文明の発展がある極に達し、次は新たな文明を目指す。その節目を迎えたということであろう。覚醒するには変化が必要である。

 その変化はどんな変化か? その変化を間もなく見ることになろう。

2012/05/08(火)


原発全停止
 日本の原子力発電所がすべて発電を停止した。42年ぶりのことであり、私の電力マン45年を振り返り忸怩たる思いである。

 人類は原子力という究極のエネルギーを手に入れたが、その有利性と危険性は紙の裏表だった。30%に及ぶ電力の供給は今後、どんな結末になるのか予断を許さない。

 それにしてもあの東日本大震災の津波被害は甚大だった。それに福島第一原発が壊滅して東日本は放射能で被災した中にある。

 電力マンであった私でさえ、この惨状を見るにつけ、原発の危険性を予知できなかった。それは発電所内部でのトラブルにより甚大な被害が発生することに重点が置かれてきたからである。

 私の携わったのは石油や石炭で発電する火力発電所の建設と保守だったが、この事故により全原発が停まり、再開の道が閉ざされたことは、あまりにも影響が広範囲に及ぶ大きな問題となった。

 今、全国の火力発電所は過酷な運転を強いられている。旧式で発電効率が悪く廃止の予定が覆され、無理に戦列に復帰した火力も多い。

 原子力発電の可否はここでは問うまい。それは国民皆さんの総意で決まることであり、もう引退したいち個人が主張を展開しても始まらない。要はこれからの電力を何に頼るか、そしてその価格をどう受け入れるかにかかっていると思う。

 文明は電力とともに発展してきた。その基幹エネルギーである電力をどう安価に安全に調達するか、その道筋はまだ見えていない。

 今のところ、世界の電力は一部の国を除いて原子力が中心となろう。原発は最初は安価な電力を生み出すが、使用済み廃棄物の処理や廃炉費用を加味すればそれほど安い電力ではない。ただわずかな燃料で1基150万kwという膨大な電力を生み出す効率的な電力であり、場所を食わないメリットはある。

 原発のエネルギーは危険すぎる。できることなら他の方法を選択すべきである。ではそのエネルギーはどんなエネルギーであろうか。

 それはあのニコラ・テスラが開発したとされるフリーエネルギーである。この宇宙に瀰漫する一種の電磁波エネルギーで、究極のエネルギーとされる。だがこのエネルギーの開発を阻止するやからが存在する。

 それは闇の勢力とよばれるやからで、彼らの権益である化石エネルギーが壊滅することを阻止するやからである。だがいずれはこのエネルギーは世に出よう。それはこの人類の意識が高まり、より高い次元に移行するまで待たねばならないかも知れない。

2012/05/07(月)


横変死の因縁
 白馬岳など北アルプスで8人が遭難死した。春が来て陽気がただようと、軽装で登山し悲惨な死を遂げる。災害や事故、戦争にテロ、自殺や他殺など浮かばれない死を横変死という。

 それは人が運命的に持って生まれる因縁の一環であり、わが師はこの因縁の種類を二十数種類に分類される。横変死は強い肉体障害の因縁が更に強くなり悪化したもので、この因縁を持つと必ず横死、変死する。

 それは多くは三代以内の血縁中に、同じ因縁で亡くなった縁者を持つ例が多いとわが師は説かれる。それは縁者でなくても強い怨恨の念を他人から受ける場合もある。

 先祖に浮かばれない横変死した人がいれば、その人の御霊を成仏させねばならない。不慮の死は死んだことさえ理解できなくて、霊界の下層で現世の思いを再現して苦しむ存在となるからだ。

 特に戦争は悲惨を極める。それは死を覚悟の上での死であっても、その無念は自分の生きた想念の中にあり、決して霊界の上層に上がりまた輪廻の境涯に達するものではない。だからそれらの人々は現世で生きる遺族が供養を奉げねばならない。

 わが師はこの理念のもと、5月10日から19日にかけて南太平洋で亡くなった兵士や戦争に巻き込まれた幾多の徴用船や漁船の乗組員を供養される。

 それは”ふじ丸”という大型客船上での法要で、洋上を航海しながら各地で犠牲者の供養をささげるものである。昨日はその出発式が行われ、横浜を出発後、小笠原諸島や硫黄島等、沖縄海域やフイリッピン、台湾を経由して神戸に帰る船旅である。

 太平洋戦争では国民すべてが遺族であり、法要は死者の成仏により、祈りによって世界の平和を実現することを理念とする。

 これから益々横変死の人々が増えてゆくであろう。十数年前、わが師は霊視により人々の30%がこの「横変死の因縁」を持つと話された。今ではその確率は相当なレベルに達しているであろう。

 一番の被害は戦争である。人類が核を手に入れた太平洋戦争で、日本が唯一洗礼を受けた。人類の未来はこの核戦争にかかっている。では我々にできることは何であろうか? それは祈りである。

 仏陀の成仏法を持って死者を成仏させるとき、それは霊的に浄化されその功徳は我々の身に降りる。

 ”御霊の鎮めなくして国土の鎮めなく、御霊の安らぎなくして家庭の安穏繁栄はない”の理念のもと、日本初の洋上法要では、南太平洋で散華したご英霊を仏陀の成仏法で供養し、「御霊依代」にお祀りして日本に帰還される。

2012/05/06(日)


わがふるさとの森
 新緑の季節となり、わがふるさとの森も青葉が芽吹きだした。山一面のブナの林で、ムジナ(穴熊)がうろつき、ふくろうやムササビが飛び交う森でもある。

 連休に田舎の家へ行き、弟たちと親交を深めたことは先日書いた。そのとき私は必ずこの森を訪れる。それは裏山がブナの原生林だからだ。

 ブナの林はことに私を和ませる。ヒヨドリが鳴き、静寂の合間にそよ風の音が聞こえる。そしてヤブ椿が咲き、つつじの花もあちこちに咲いている。

 この森は村有林で、40年前は山一面がブナだった。だがその一部は村が切り倒し杉を植える。その杉林は手入れが行き届かず、今は荒れ放題!

 それでも残った森は広大で、写真に撮るのが楽しみなのだ。5月のテーマは「わがふるさとの森」にした。写真のコーナーをクリックすれば、俳誌「雲の峰」の皆さんから選んだ俳句を添付した風景が楽しめる。

 そして昨日、メールを開くと思わぬ人から便りがきていた。会社でともに働いたYさんだった。私の写真を見て懐かしくなり便りをくれたという。

 私もびっくりする。もう退職して12年になるが、会うことも話す事もなかったのに、どうして私のHPを知っていたのであろうか? いや、すでにアドレスを渡していたのかも知れない。

 彼もこのブナ林には癒されるという。新緑は今が最高! 木々の芽吹きは人生の新しい門出のように、また生きる勇気を与えてくれる。

 世の中が騒然としてこの先が見えないとき、ブナの森は私に話しかける。

 「何をそんなに騒いでいるの。私なんぞ、数百年もこの地で生きているんよ! ゆっくり人生を楽しみなさい。」

 経済に災害、事故にテロなど人間社会はいつ破滅がきてもおかしくないのに、この森は静かにたたずむ。森は自然を愛する人々のオアシスとなり、我々を癒してくれる。それがふるさとの森なのだ。

2012/05/05(土)


UFO騒動
 昨夜はNHKに見たい番組がないので民放にチャンネルを合わせる。午後8時過ぎだったが、UFOの特集をやっていた。そこで興味があり、最後まで見てみる。

 所ジョージやお笑い番組に出るタレントが多数出演していたが、彼らの理解度に興味があっての視聴でり、あまり期待していなかった。

 案の上、UFOをおもちゃのような感覚で真実だとか、デマだとかの議論に終始する。民放の放映する番組はすべて民衆の興味本位で、真実は何も得られそうにない。

 最近、UFOの目撃体験が世界中で増加している。我々が見慣れた飛行体と違うものが誰の目にも目撃される時代になったと言うべきであろう。

 UFOなどの未確認飛行物体は太古の昔から地球に飛来しているものであり、いまさら論議の的になるしろものではない。それは人類の誕生と深く関係するからだ。

 私が常にスピリチュアルな分野で書いているように、それはこの地球誕生以来、人類がいかにして今の人に進化したかを理解できれば分かるであろう。

 その進化の意味を阻害するのがダーウインの進化論である。人は猿など類人猿から進化して真の人類になったと説く以上、UFOの真実は理解できないであろう。

 ここに地球・先史文明研究家の浅川嘉富氏の著書「2012年アセッション最後の真実」(学研社)がある。氏はその著書で次のようにダーウインを評される。

 「今から150年前、ダーウインがイギリスの研究室で自然淘汰の研究に行き詰まっていたとき、マレーシア諸島で生物の進化を研究していた新進気鋭のアルフレッド・ラッセル・ウォレスという学者が自然淘汰による種の起源説の原型となる進化論を書き上げていた。

 ウォレスはその論文を貴族社会に属し、英国生物学会の頂点に立つダーウィン卿の元に送ったもので、ダーウィンはその進化論から多くの知識を得て独自の進化論を一機に書き上げた。

 だが問題の進化論の真の生みの親であるウォレスは、1890年に出版した「自然淘汰への寄与」で、自然淘汰説を人の誕生に当てはめるのは間違いであると明快に述べている。」

 ダーウィンの進化論はこのように、動植物だけでなく人の進化にも利用され、今も定説のまま人類を狂わせる。

 長々と浅川氏の著書から引用させていただいた。なぜなら私の生涯のテーマである「人はどこから来てどこへ行くのか?」が間違った定説として世に広まっているからである。

 これから益々UFOは人類の前に姿を現すであろう。それは人類の覚醒が迫っているからである。もはやこの人類が進化のために一段と霊格をあげ、人類誕生の秘密や行く先が明確に理解できる段階に差し掛かったことを知らしめる。

 それはこの地球が学校であり、多くの学びをして新たな世界に飛躍する契機となるものである。そのときを私もこの目で見たいものである。

2012/05/04(金)


葬式事情
 田舎に集まった兄弟は昨年2月に亡くなった母のお墓参りをする。人生の大半をこの地に住んで、76歳で狭心症を患い私は自分の家に引き取った。

 97年の歳月を生きた母はふるさとの墓に眠る。母の葬儀は多くの親戚の手前、近くの葬儀場で行ったが、一周忌は兄弟だけの「母を偲ぶ会」で済ませた。

 最近の葬式事情が大変興味深い。5月1日の読売新聞では戒名についての特集があり、仏教の戒名をつけてもらうことについて考え方が変わりつつあるという。

 院号や位号など仏教徒としての階級が高い戒名は法外なお金がかかり、俗名のままや、自分好みの生前戒名をつける場合も増えているという。

 戒名とは仏門に帰依した証しとして与えられる名前で、法名、法号ともいう。本来は室町時代後期から葬儀の際に与えられることが広がったとされる。

 戒名など僧侶へ支払うお金は膨大なものだ。日本消費者協会が調べた葬儀の平均費用は約200万円! そのうち僧侶への費用は51.4万円だという。

 高齢化して会葬者も減り、香典も少なくなると、葬儀の費用を捻出するのは難しい。だから家族葬や直葬など近親者だけで済ますケースが増えることになる。

 それにしても僧侶へのお布施は大変なものだ。私の母の場合は生前戒名を持っていたから僧侶へのお布施は20万円弱だったが、たった1時間程度のお経でこの費用!

 それはお坊さんという特殊な仕事の報酬であろう。戒名は寺の大きな収入源となり、院号や位号で金額が増えるのもおかしいと識者はいう。

 200万円の葬式代を払える人は幸せな人であろう。だが払えなくても故人には関係ない。葬儀の良し悪しが故人を成仏させるのではない。それは俗世の人が自己満足の範疇で行われるものだからだ。

 儀式に莫大なお金を払う葬儀は今後益々簡素化されるであろう。近くの葬儀会社が広大な空き地を確保し、豪華な建物を建築中である。今、一番景気の良いのは葬儀社だけかも知れない。

2012/05/03(木)


帰郷
 毎年ゴールデンウイークとお盆は3人兄弟が田舎の家に集まり、近況を語り合うことにしている。名古屋に住む次男と三男は東海北陸道を走れば3時間で着くことができる。

 ブナ林に囲まれ、前を小川が流れるわがふるさと。もう十数年前から空き家となり、年に2度の兄弟を待っていてくれる。空き家といえど電気、ガス、水道は活かしてあり、いつでも生活できる。

 私は朝の10時に着いて家の掃除を始める。昨年の秋に雪篭もりのために来た時以来、初めての帰郷だ。部屋に入るとガメ虫が一面に落ちている。

 このガメ虫は方言で「ペクサンボ」と言う。少しでも刺激を与えると、臭い”おなら”のような悪臭を放ち、とても我慢がならない。その虫が各部屋に敷いたようにいるのだ。

 それは冬篭もりのために隙間をかいくぐり部屋に入るものであり、死んだものもいればまだ生きているのもいる。そこで掃除機で吸い取るのだが、その量が莫大なのだ。

 刺激を与えたために悪臭を放ち、まるで昔のポットントイレの中にいるようだ。一通り吸い取ったが、どこからかまた飛んできた。床だけでなく、ヤツは壁や天井など部屋のあらゆる場所に留まっている。

 午後1時ころ、兄弟がやってきた。そこで3人が語り合う。もう70歳を越え、三男も65歳になった。昨年死んだ母の墓参りをして会食をするため、近くの温泉へ向かう。

 ここの「くろば温泉」は20年前にふるさと創生基金の1億円を投じて温泉を掘り当て、村民や旅人の憩いの場となっている。

 ”幾山河 越えきし旅も 一休み いで湯にわれも しばし憩わん”     (作者不詳)

 72歳となり、熱い温泉に浸り昔の田舎の生活を思いだす。3兄弟はここで子供時代を過ごした。出稼ぎと炭焼きで生計を立てていた父母は、苦労して我々を育ててくれた。その懐かしいわがふるさとの風景を満喫する。

 会食は「五箇山定食」だ。岩魚の刺身に塩焼き、ゼンマイにわらび、五箇山豆腐など郷土料理に舌ずつみを打ち、楽しく語り合う。

 家へ帰ってくるとまた例のガメ虫との格闘が始まる。それは明かりを求めてどこからともなく飛んでくるのだ。それを掃除機の先で吸い取る。悪臭の中、3人は心ゆくまで語り合った。

 何度掃除機の袋を替えたことだろうか! 家は29年建造の築67年で、土台が石の上だから不等沈下して柱が傾き、隙間だらけだ。ここはガメ虫の住処で、何を餌にして生きているのだろうと不思議に思う。だがこんな家でもまだ残しておこう。これから始まる大災害に向けて、せめてもの避難場所として役に立つだろう。

 ぶな林が新緑を迎えた。裏の広大なぶなの林を写真に収め、私は帰ってきた。明日からふるさとのぶな林をHPトップで紹介します。ご期待ください。

2012/05/02(水)

My Diary Version 1.21
Written by 中村邦夫 CGI提供じゃわ